メイン

  

 
サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂はヴェネツィアにある、
 
 
カトリック教会のバシリカ(集会施設)で、一般的にサルーテと縮めて呼ばれるそうです
 
 
美しい外観と顕著な履歴を持ち、イタリアで最も写真におさめられる場所なのだとか。
 
 
かつてヴェネツィアでの黒死病流行に伴った
 
 
聖人へ捧げる教会の建設を求める声があがっていたそうです。
 
 
当時アンドーレ・パアラディーオに
 
 
キリストに寄進するイル・レデントーレの設計依頼をしており、
 
 
1630年10月22日にヴェネツィア政府は新教会建設を宣言しました。
 
 
これは黒死病撲滅や守護聖人に捧げる物ではなく
 
 
様々な理由から共和国守護者の聖母マリアに捧げることが決まったそうです。
 
 
 
 
 
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競争で建物が選ばれることとなった11の具申の中から、
 
 
たった2つだけが最終審査に残り、
 
 
そのうちの建築家バルダッサーレ・ロンゲーナの新教会設計図が選ばれました。
 
 
聖堂が完成したのは、ロンゲーナが死ぬ1年前の1681年。
 
 
ロンゲーナの申し込みは他の案と比べて具体化された建築計画で、
 
 
構造と費用の詳細などが書かれていたそうです。
 
 
 
 
 
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サルーテ聖堂は巨大な八角形の建物で、
 
 
10万個の木片を組み合わせた土台の上に立っているそうです。
 
 
建材はイストリア産の石
 
 
マルモリノ(大理石の粉末で表面を覆った煉瓦)が使われています。
 
 
大きなドームはマリアの冠、
 
 
おちくぼんだ内装は彼女の墓、
 
 
八角形の八つの角と八辺はマリアの象徴である星を表すそうです。
 
 
サルーテ聖堂のドームはヴェネツィアのシンボルの一つとされています。

 

 

パンテオン

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パンテオン.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
パンテオンはローマ市内のパラティヌスの丘に建造された神殿です。
 
 
もともとは、様々なローマ神を奉る万神殿だったそうです。
 
 
最初のパンテオンは紀元前25年に、
 
 
初代ローマ皇帝であるアウグストゥスの側近、
 
 
マルクス・ウィプサニウス・アグリッパによって建造されたそうです。
 
 
アグリッパが建造した神殿はこのパンテオンのみであったため、
 
 
パンテオンはもともとアウグストゥスを奉ることを予定されていたものの、
 
 
市民の反発を避けるため、万神殿に変更されたとの説もあるそうです。
 
 
最初のパンテオンは、後に火事で焼失したそうです。
 
 
 
 
 
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2代目のパンテオンは118年から128年に掛けて
 
 
ローマ皇帝ハドリアヌスによって再建されたそうです。
 
 
この2代目パンテオンが現在ローマにあるパンテオンだそうです。
 
 
正面にはアグリッパに敬意を称し、              
 
 
M.AGRIPPA L.F.COS TERTIUM FECIT
 
 
(ルキウスの息子マルクス・アグリッパが、3度目のコンスルの際に建造)
 
 
と記されています。
 
 
 
 
 
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建物は、深さ4.5mのローマン・コンクリート基礎の上部に直径43.2mの円堂と
 
 
半球型のドームがのった構造で、壁面は厚さ6mになりますが、
 
 
高さによって材質を使い分けているそうで、
 
 
ドーム上部は凝灰岩と軽石を素材として用い、その厚さは1.5mになります。
 
 
床からドーム頂部までの高さは直径と同じ43.2mで、
 
 
頂上部分にはオルクス(ラテン語で「目」の意)
 
 
と呼ばれる採光のための開口部があります。
 
 
パンテオン02.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ローマ神が信じられなくなった後も、この象徴的な空間性によって、
 
 
608年にはキリスト教の聖堂となり、破壊を免れました
 
 
また、この建物自体は非常に改築されにくい造りだそうです。
 
 
 

サンタンジェロ城

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サンタンジェロ城.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
サンタンジェロ城は、ローマのテヴェレ川右岸にある城塞です。
 
 
日本語訳では、聖天使城、カステル・サンタンジェロとも呼ばれます。
 
 
正面にはサンタンジェロ橋があり、
 
 
バチカンのサン・ピエトロ大聖堂とは秘密の通路で繋がっているといわれています。
 
 
 
 
 
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135年、皇帝ハドリアヌス自らの霊廟として建設を開始し、
 
 
アントニヌス・ピウス治世の139年に完成
 
 
霊廟はきれいな円形で、
 
 
太陽を象徴としたハドリアヌスが戦車を引く像が頂上に設置されました。
 
 
しばらくすると軍事施設として使用され始め
 
 
403年にはアウレリアヌスの城壁の一部に組み入れられ、
 
 
14世紀からは教皇たちにより要塞として強化され、
 
 
またその頃から牢獄や避難所として使用されたそうです。
 
 
クレメンス7世はローマが略奪を受けている間、
 
 
カール5世率いるドイツ人傭兵の包囲に抵抗するためこの機能を使用したそうです。
 
 
 
 
 
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サンタンジェロ城の名称は、590年にローマでペストが大流行した際、
 
 
当時の教皇グレゴリウス1世が城の頂上で権を鞘に納める大天使ミカエルを見て、
 
 
ペスト流行の終焉を意味するとしたことに由来する。
 
 
その出来事を記念して16世紀に
 
 
ラファエッロ・ダ・モンテルーポによる大理石製の天使の像が城の頂上に設置されました
 
 
現在の天使の像は1753年から設置された青銅製の像です。
 
 
サンタンジェロ城02.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

コロッセウム

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コロッセウム.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
コロッセウムはネロ帝の黄金宮殿の庭園にあった人工池の跡地に建設されたそうです。
 
 
工事はウェスパシアヌス治世の75年に始まり、
 
 
ティトゥス治世の80年から使用されるようになったそうです。
 
 
ちなみに、完成したのはドミティアヌスの治世中だそうです。
 
 
フラウィウス朝の皇帝が建設者であることから
 
 
フラウィウス闘技場」が本来の名前なのだそうです。
 
 
なぜコロッセウムと呼ばれるようになったかといえば、
 
 
ネロ帝の巨大な像(コロッスス)が傍らに立っていたためだといわれています。
 
 
 
 
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コロッセオは火山灰を利用したコンクリートでできています。
 
 
鉄筋を用いないコンクリートで幾多の地震に崩壊しなかったのは、
 
 
全体が円筒形で力学的に安定していたためなのだそうです。
 
 
中世を通じてコロッセウムに使用されている建材は、
 
 
ほかの建築物に流用され続けたそうです。
 
 
その大理石はバチカンのサン・ピエトロ大聖堂にも使用されているそうです。
 
 
それでも今現在の姿で残っているのは、
 
 
迫害されたキリスト教徒がここで殉職したと伝えられていたため、
 
 
一種の聖地となっていたからなのだそうです。
 
 
しかし、キリスト教徒が迫害されたという明確な証拠はないそうです。
 
 
ローマ教皇ベネディクトゥス14世が
 
 
コロッセオは神聖であるとして保存されるようになったそうです。
 
 
 
 
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現在外周は半分程度が残っています
 
 
古代の完全な状態に再現しようとする動きはなく、
 
 
このままの形で保存されていくと考えられているそうです。
 
 
1900年をこえた現在ではローマはイタリアの一都市となってしまったが、
 
 
コロッセオは古代ローマの象徴でありつづけています
 
 
かつて多くの殺人(公開処刑を含む)が行われた場所であることから、
 
 
現在では死刑廃止のイベントのために使用されているそうです。
 
 
11月30日の「死刑に反対する都市」の日、あるいは新たに死刑を廃止した国が出た時には、
 
 
その記念としてコロッセオがライトアップされます。
 
 
 
 
 
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コロッセウム02.jpg 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大きさは直径188m、短径156mの楕円形で、高さは48m。
 
 
約45,000人を収容できたそうです。
 
 
また、天井部分は解放されていますが、日よけ用に布を張る設備があったのだとか。
 
 
皇帝席には一日中直射日光が当たらないように設計されており、
 
 
また一般の観客席についても
 
 
一日に20分以上日が当たらないように工夫がされていたそうです。
 
 
初期においては競技場にローマ水道より引いた水を張り、
 
 
模擬海戦を上演することさえ可能だったそうですが、
 
 
後に複雑な舞台装置を設置したため、
 
 
そのような水を使った大規模演出は不可能となったのだとか。
 
 
また、人力エレベーターの存在もあり、
 
 
これは剣闘の選手の入場のために用意されていました。
 
 
現在ではその巻き上げをおこなった柱の跡が残っているそうです。
 
 
コロッセウムの横には「メタ・スダンス(汗をかく標識)」という名の噴水が作られており、
 
 
戦いを終えた剣闘士もここで体を洗ったと伝えられています。
 
 
 

 

コンスタンティヌスの公衆浴場

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コンスタンティヌスの公衆浴場
 
 
フランスには宮殿や聖堂など多くの有名な建築物がありますが、
 
 
遺跡として、公衆浴場も現存しています。
 
 
それがコンスタンティヌスの公衆浴場です。
 
 
コンスタンティヌスの公衆浴場01.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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コンスタンティヌスの公衆浴場02.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この公衆浴場は南フランスの古都アルルに現存する
 
 
古代ローマ時代の公衆浴場跡です。
 
 
4世紀にローマ帝国コンスタンティヌス1世が
 
 
アレラーテ(現在のアルル)に逗留していた際に建造されたものだそうです。
 
 
トルイユ公衆浴場とも呼ばれます
 
 
 
 
 
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元々は宮殿、体操場、水風呂(フリジダリウム)、
 
 
ぬるま湯風呂(テピダリウム)、熱湯風呂(カルダリウム)、
 
 
サウナ風呂、プールなどが設置されていた大浴場だったそうですが、
 
 
現存するのはぬるま湯風呂、熱湯風呂、サウナ風呂
 
 
およびそれらの後部に設置されていた半円状のプールの遺構だけだそうです。
 
 
これらは19世紀になって発掘され、
 
 
当時は古代ローマ時代の宮殿跡と認識されていたそうです。
 
 
現在は「コンスタンティヌスの公衆浴場」の名で、
 
 
世界遺産「アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群」の一部として登録されています。
 
 
 

ヴェルサイユ宮殿

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この建築物は歴史の教科書に必ずと言っていいほど乗っていますよね。
 
 
ルイ14世が建造した宮殿であり、
 
 
ヴェルサイユ条約の調印の為に使用された場所でもあります。
 
 
このヴェルサイユ宮殿はパリの南西22キロに位置する、
 
 
イヴリーヌ県ヴェルサイユにあります。
 
 
主な部分の設計は、マンサールル・ブランによって行われ、
 
 
庭園はアンドレ・ル・ノートルによって造園されたそうです。
 
 
バロック建築の代表作であり、豪華な建物と広大な広い庭園で有名です。
 
 
ヴェルサイユ宮殿.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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先ほども書きましたが、ルイ14世が建造した宮殿です。
 
 
そのため、フランス絶対王政の象徴的建造物ともいわれているそうで、
 
 
その豪華さと完成度で世界中の宮殿に模範されたそうです
 
 
そんなヴェルサイユ宮殿ですが、
 
 
実は宮殿よりも噴水庭園の方が建設にかかった労力は上だったのだとか。
 
 
宮殿建設の25,000人に対し、36,000人が投入されていたそうです。
 
 
また、この噴水にはルイ14世の3つの意図が込められているそうです。
 
 
水無き地に水を引く
 
 
貴族を従わせる
 
 
民衆の心をつかむ
 
 
といった3つだそうです。
 
 
 
 
 
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ヴェルサイユには近くに水を引く高地がなく
 
 
10km離れたセーヌ川の川岸に巨大な機械を設置し、
 
 
堤の上に水を上げ、水道橋を造り、
 
 
ヴェルサイユの巨大な貯水槽に水をためたそうです。
 
 
また、噴水は「ラトナの噴水」と
 
 
ヴェルサイユ宮殿 ラトナ噴水.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「太陽神アポロンの噴水」があり、
 
 
ヴェルサイユ宮殿 アポロンの噴水.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
どちらの噴水においてもアポロンはルイ14世をあらわしています
 
 
また、ラトナの噴水において、アポロンとラトナの足元にある
 
 
カエル等の像は、二人に泥を投げ付けて神の怒りにふれた人間の姿であり、
 
 
これによって貴族を牽制し
 
 
ヴェルサイユ宮殿を全ての民衆に開放し、
 
 
貴族と自然を圧倒した王の偉大さを民衆に刷り込んだと言われています。
 
 
 
 
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ヴェルサイユ宮殿の宮殿内で有名なのは鏡の間です。
 
 
ヴェルサイユ宮殿 鏡の間.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この鏡の間は、儀式や外国の賓客を謁見するために使われていたそうです。
 
 
1871年にドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の即位式が行われ
 
 
また第一次世界大戦後の対ドイツとの講和条約である
 
 
ヴェルサイユ条約が調印された場所でもあります
 
 
鏡の間にはたくさんの銀製品が飾られていたといわれているそうですが、
 
 
ルイ14世は晩年になってスペインとの王位継承争いが続いて戦費の捻出に困り、
 
 
破産を免れるためにこれらを売って戦費に充てたといわれています。
 
 

ランス・ノートルダム大聖堂

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ノートルダム」という言葉を聞いたことはありませんか?
 
 
ノートルダムとはフランス語で私達の貴婦人」という意味で、
 
 
聖母マリアを指しているそうです。
 
 
ノートルダム聖堂と言うと20ほどあるそうですが、
 
 
今回はフランス・ランスにあるノートルダム大聖堂について書きます。
 
 
ランスはパリから東北東に約130㎞の位置にある街だそうです。
 
 
このランス・ノートルダム大聖堂は、
 
 
1991年にサン=レミ旧大修道院とトー宮殿とともにユネスコ世界遺産に登録されました。
 
 
微笑みの天使」の彫像が有名です。
 
 
 
 
 
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ランス・ノートルダム大聖堂.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(写真:ランス・ノートルダム大聖堂)
 
 
このランス・ノートルダム大聖堂は、
 
 
1210年に火災で焼失した教会の代わりとして1211年5月6日に東側部分から着工されたそうです。
 
 
1233年から1236年には建造資金源として課された重税に苦しんだランス市民によって、
 
 
大聖堂の工事を率いる高位聖職者に対する反乱がおこったそうですが、
 
 
14世紀には内陣が完成していたそうです。
 
 
ただ、ファザード部の建設は遅れ、
 
 
南側の鐘塔は1445年、北側の鐘塔は1475年に完成したそうです。
(約260年かけて建造されたということですね。)
 
 
また、かのジャンヌ・ダルクシャルル7世と共に
 
 
このランス・ノートルダム大聖堂を訪れていたそうです。
 
 
 
 
 
 
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その後ランス・ノートルダム大聖堂は、
 
 
フランス革命の動乱で彫像を中心に破壊されたそうですが、
 
 
1875年にフランスの国会で修復の為に投資されることが決議され、彫像の多くが修復されました。
 
 
投資額は現在の価格で約8万ユーロだったそうです。
 
 
しかし第一次世界大戦の影響で、約半数のステンドグラスが失われ
 
空爆では屋根に壊滅的な被害をうけたそうです。
 
 
ランス・ノートルダム大聖堂 ステンドグラス.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(写真:ランス・ノートルダム大聖堂 ステンドグラス)
 
 
終戦後にランス出身の建築家・アンリ・ドゥヌの主導によって再建が開始され、
 
 
1938年に竣工した後に一般開放されましたが、今もまだ一部の修復作業が行われているそうです。
 
 
 
 
 
 
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ランス・ノートルダム大聖堂は、国王の戴冠式の場としても利用されていたそうです。
 
 
というのも、ランスで496年にフランク王国の初代国王であったクロヴィス
 
 
ランスの司教であったレミギウスから洗礼をうけてローマ・カトリックに改宗して以来、
 
 
歴代フランス国王の戴冠の秘蹟を授ける聖別式行われるようになったからだそうです。
 
 
816年にルイ1世が始めて戴冠式を行ってから、
 
 
1825年のシャルル10世に至るまで25人の王
 
 
このランス・ノートルダム大聖堂で聖別を受けたそうです。
 
 

モン・サン=ミシェル

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フランスにはエッフェル塔と同じく有名な建築物があります。
 
 
モン・サン=ミシェル。
 
 
一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
 
 
モン・サン=ミシェルはフランス西海岸、
 
 
サン・マロ湾上に浮かぶ小島に築かれた修道院です。
 
 
カトリックの巡礼地のひとつでもあるそうで、
 
 
「西洋の驚異」とうも称されるそうです。
 
 
1979年に「モン・サン=ミシェルとその湾」として世界遺産に登録され、
 
 
1994年にはラムサール条約登録地となったそうです。
 
モン・サン=ミシェル.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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モン・サン=ミシェルの主要部はゴシック様式で、
 
 
内部は様々な中世の建築方式が混ざり合って構成されているそうです。
 
 
教会堂はカロリング期の様式で、身廊はノルマン様式
 
 
百年戦争後の1421年に破壊されたロマネスク様式の内陣は
 
 
フランボワイアン・ゴシック様式として再建されたそうです。
 
 
 
 
 
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モン・サン=ミシェルがあるサン・マロ湾は
 
 
ヨーロッパでも潮の干満の差が最も激しい所として知られているそうです。
 
 
かつては多くの巡礼者が潮にのまれて命を落としたといわれ、
 
 
「モン・サン=ミシェルに行くなら、遺書を置いていけ」
 
 
という言い伝えがあったそうです。
(まるで親不知子不知のような・・・・)
 
 
1877年に対岸との間に地続きの道路が作られ、
 
 
潮の干満に関係なく島へと渡れるようになったそうですが、
 
 
これによって潮流をせき止めることとなり、
 
 
100年間で2mもの砂が堆積してしまったそうです。
 
 
かつての姿を取り戻すべく2009年には地続きの道路が取り壊され、
 
 
2010年には代替となる新たな橋がかけられることが計画されているそうです。
 
 
厳島神社がある広島県廿日市市とは姉妹都市なのだとか。
(教会と神社といった“神様”と“潮の干満”が関係した場所ですよね)
 
 
 
 
 
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この島はもともとモン・トンブ(墓の山)と呼ばれ
 
 
先住民のケルト人が信仰する聖地であったそうです。
 
 
百年戦争の期間は島全体が英仏海峡に浮かぶ要塞の役目をしていたそうで、
 
 
モン・サン=ミシェルの入り口には今も
 
 
イギリス軍が捨てていった大砲とその弾が残っているのだとか。
 
 
18世紀末のフランス革命時に修道院は廃止され、
 
 
1863年まで国の監獄として使用された後、荒廃していたそうですが、
 
 
ヴィクトール・ユゴーの紹介がナポレオン3世を動かし、
 
 
1865年に再び修道院として復元され、ミサが行われるようになったそうです。
 
 
 

エトワール凱旋門

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前回エッフェル塔を紹介した時、大坂の初代通天閣のモデルとなったと書きましたが、
 
 
エッフェル塔は初代通天閣の上半分のモデルで、下半分にもモデルがあります。
 
 
それがエトワール凱旋門です。
 
 
エトワール凱旋門.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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エトワール凱旋門は、フランス・パリのシャンゼリゼ通りの西端の
 
 
シャルル・ド・ゴール広場にある凱旋門のことです。
 
 
パリのシンボルの一つで、単に凱旋門と言えばこの凱旋門を指すことも多く
 
 
世界有数の観光名所となっています。
 
 
この凱旋門を中心にシャンゼリゼ通りを始め、12本の通りが放射線状に延びており、
 
 
エトワール凱旋門 地図.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その形が地図上で光り輝く“”のようみえることから、
 
 
この広場は「星の広場(エトワール広場)」と呼ばれていたそうです。
 
 
古代ギリシャ、ローマを模範とする新古典主義建築物だそうです。
 
 
 
 
 
 
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エトワール凱旋門は前年のアウステルリッツの戦いに勝利した記念に、
 
 
1806年にナポレオン・ボナパルトの命によって建設が始り
 
 
ルイ・フィリップの復古王政時代、1836年に完成したそうです。
 
 
ナポレオンは凱旋門が完成する前にすでに死去しており、
 
 
彼がこの門をくぐったのは1840年にパリに改葬された時だったのだとか。
 
 
 
 

エッフェル塔

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前回はイギリスの有名な建築物について書いたので、
 
 
今回はフランスの有名な建築物について書いていきたいと思います。
 
 
 
フランスの有名な建築物はいくつかありますが、
 
 
知名度の高い建築物と言えばエッフェル塔ですよね。
 
 
エッフェル塔.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(写真:エッフェル塔)
 
 
 
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フランス革命100周年を記念して、
 
 
1889年にパリで行われた第4回万国博覧会に建造するために
 
 
コンペティションが開かれたそうです。
 
 
そのコンペティションでギュスターヴ・エッフェル
 
 
ステファン・ソーヴェストルモーリス・ケクランの案が採用されたそうです。
 
 
エッフェル塔という名前はギュスターヴ・エッフェルに由来するそうです。
 
 
 
 
 
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エッフェルは工事を請け負ったにすぎないとされることもあるそうですが、
 
 
ソーヴェストルとケクランはエッフェル社の社員だったそうで、
 
 
最終的にはエッフェルが著作権者となったそうです。
 
 
建設は万博に間に合わせるために2年2ヶ月という早さで行われたそうですが、
(当時の技術や塔の高さを考えると早いですよね)
 
 
一人の死者も出さなかったそうです。
 
 
 
 
 
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現在のエッフェル塔はパリを代表するシンボルとなっています。
 
 
1991年にはこの塔を含むパリのセーヌ川周辺は世界遺産として登録されました。
 
 
ちなみに、このエッフェル塔には正面がないそうです。
 
 
入る時に少し戸惑いそうですよね。
 
 
また、大阪の初代通天閣のモデルにもなっています。
 
 
初代通天閣.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(写真:初代通天閣)
 
 
 
 
 
 

 

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