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ヘレニズム時代

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前323年のアレクサンドロス大王の死からエジプトがローマの属州となる前31年までの期間は
 
 
エーゲ海を中心としたギリシア世界と
 
中近東のオリエント世界との文化的接触の時代であったそうです。
 
 
大王の死後に一時混乱の時代を迎えたそうですが、
 
 
セレコウス朝による中近東から小アジアまでの地域
 
 
プトレマイオス超によるエジプト
 
 
ギリシア本土北方のマケドニア
 
 
エーゲ海一帯
 
 
という四つの地域に分かれたそうです。
 
 
 
 
 
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この時代の特徴の第一は、対象となる世界の地域的な拡大です
 
 
前半は小アジアを中心とした東地中海世界を、
 
 
第2世紀中頃以降はローマまでを巻き込んだ地中海沿岸全域を舞台とする
 
 
ようになっていったそうです。
 
 
その結果、コスモポリタン的思想が生まれたのだそうです。
 
 
それにしたがい、建築においてもその理念化や平準化が進み、
 
 
ヘルモゲネスやヘルモドロスのような真の意味でのインターナショナルな建築家が出現しました。
 
 
彼らは建築書を書き残すとともに、自らの能力を最大限に生かせる場を求めて、
 
 
地中海世界全体を相手に活躍することになります。
 
 
 
 
 
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第二の特徴は、建築の空間というものがより明確に認識されるようになったことです。
 
 
それは人間が特定の意思のもとに統制できる空間を作り出すことであって、
 
 
矩形の広場や軸線的な計画の中にみることができます。
 
 
この傾向はローマ建築に引き継がれ、そこで結実することになります。
 
 
 
 
 
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第三の特徴は、従来の宗教建築のみを中心とした建築の発展ではなく、アゴラや
 
 
それに付随する集会施設や劇場などの公共建築が充実するようになったことです。
 
 
パルテノン神殿以降、神殿建築の中心がドリス式からイオニア式に移っていきました。
 
 
ヘレニズム期を代表する神殿建築はヘルモゲネスによる一連のイオニア式神殿です。
 
 
その好例がマグネシアのアルテミス神殿です。
 
 
神域の構成ではペルガモンのアテナ神域のように、
 
 
列柱廊で矩形に近い神域を作りながらも神殿は斜めに見えるように配置する
 
 
アルカイック時代以来の伝統的手法が継承されています
 
 
ですがもう一方では、列柱で囲まれた完全に矩形の広場を作り出し、
 
 
そこに軸線を通すような空間の秩序化が興っています。
 
 
 
 
 
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マグネシアのアルテミス神殿では整然とした神域の中央に神殿が立ち、
 
 
その中央軸戦場にプロピュロンが開いています。
 
 
アゴラにおいても明確な軸線は形成されないですが、
 
 
柱列で完全に取り込まれたモニュメンタルな広場へとその姿を変えていきます
 
 
たとえばプリエネやミレトスのアゴラでは
 
 
「コの字」や「L字」形の列柱廊でかこまれた矩形の広場をなし、
 
 
その周囲にブーレウテリオンなどの公共施設がおかれています。
 
 
こうした空間の秩序化と軸線性は単一の建物にも適用されるようになっていきます。
 
 
ミレトスのブーレウテリオンは、入り口、列柱廊、祭壇、半円形の集会場が
 
 
中心軸上に並び、左右対称になっています
 
 
 
 
 
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プリエネやデロス島の前3~2世紀の住宅は、石造が一般的となり、2~3階建てとなります。
 
 
基本は中庭式で、立派なつくりの場合は周柱廊がそこにめぐり、
 
 
中庭の下には貯水槽が設けられることもあったそうです。
 
 
各部屋は中庭に面し、できるだけ北側に部屋を集め、南側は開けられ、
 
 
主室がほかの部屋に比べ際立って大きくなっています。
 
 
室内にはモザイクの舗床を施し、壁面には壁画が描かれ、
 
 
内部意匠が極めて豊かになり、ローマの住宅へとその手法は受け継がれていきました
 
 
 
 
 
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戦闘技術の向上により都市の城壁はより強固になり、アクロポリスは要塞化し、
 
 
市民生活の中心としてのアゴラより壮麗に整備されるようになっていきます。
 
 
新しく建設される都市では格子状に街路計画が用いられる一方で、
 
 
景観を重視したスケノグラフィア的都市計画も発展します。
 
 
その代表例が前2世紀から始まったペルガモンの都市計画です。
 
 
急峻な斜面に沿って設けられた幾段ものテラス、それを支持する擁壁、
 
 
それぞれのテラス上に置かれる神殿や公共建築群は一体となっています。
 
 
このようにヘレニズム時代における空間の秩序化
 
 
洗練された神殿形式やオーダーの意匠
 
 
住宅の形式などは前2世紀以降、共和政ローマ建築を飲み込んでいったようです。
 
 
 

 

クラシック時代

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パルテノン神殿はギリシア人が追い求めてきた建築美を達成した傑作であるとされます。
 
 
ギリシア パルテノン神殿.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(写真:パルテノン神殿)
 
 
建物はすべてペンテリコン産の白大理石造で、
 
 
3段の階段の上に正面8本、側面17本の間柱式です。
 
 
側面の柱数を正面柱数の2倍プラス1本とすること、
 
 
プロナオスとオピストドモスの前面に円柱を立て並べること、
 
 
ナオスの後ろの西室に4本のイオニア式円柱を用いたこと、
 
 
神室の梁にあたるフリーズに連続した浮き彫り装飾を施したこと
 
 
などはイオニア式神殿の影響とみられています。
 
 
ドリス式の柱のふくらみはわずかで直線的になり、
 
 
柱頭の輪郭も従来よりも直線的になっており、
 
 
さらに階段と梁が極めてゆるやかな円弧上にふくらみ、
 
 
隅の柱は若干太くかつ内側へ傾斜して立ち、
 
 
隅の柱間は狭くするといった極めて精緻な視覚補正の手法は、
 
 
長年試みられていた手法を踏まえた上での視覚芸術としての
 
 
建築の特性を高めた結果ともいえます。
 
 
 
 
 
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パルテノン神殿は4人による共同作品であったそうです。
 
 
総指揮をフィディアスがとり、イクティノスカリクラテスカルピオンが参加。
 
 
イクティノスはドリス式の支持者で革新主義の旗手であり、
 
 
後にドリス式でバッサイのアポロ神殿を建てています。
 
 
バッサイ アポロ神殿.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(写真:バッサイ アポロ神殿)
 
 
一方カリクラテスはイオニア式の支持者で伝統主義の旗手であり、
 
 
後に同じアクロポリス上のアテナ・ニケ神殿をイオニア式で建てています。
 
 
アテナ・ニケ神殿.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(写真:アテナ・ニケ神殿)
 
 
この二人の個性のぶつかり合いがドリス式とイオニア式の融合という
 
 
稀有な結果となってパルテノン神殿に表れたとされます。
 
 
カルピオンは建築書を著したといわれています。
 
 
 
 
 
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バッサイのアポロ神殿(前429年工事開始、未完)では
 
 
コリント式柱頭が初めて神殿建築に登場するそうです。
 
 
コリント式オーダーはその後テゲアのアテナ・アレア神殿内部(前350頃)にも登場するそうですが、
 
 
コリント式オーダーとしての最も美しい体裁を整えるのは
 
 
エピダウロスの円形の建物ソロスであるそうです。
 
 
南イタリアやシチリア島のギリシア植民都市では
 
 
前6世紀の中頃から数多くの神殿が建設されており、
 
 
その代表例がセリヌスに立つ神殿やパエストゥムのポセイドン神殿です。
 
 
これらの植民都市のギリシア神殿はギリシア本土の神殿とは外見は似ているものの、
 
 
いくつかの相違がみられるそうです。
 
 
 
 
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前4世紀にはパルテノン神殿で頂点に達したドリス式にかわって
 
 
イオニア式がその新しい建築的規範を確立していきます。
 
 
それは単純な格子による平面計画、明快な比例関係、
 
 
イオニア式オーダーの整った形の成立であり、
 
 
その代表例がピテオスによるプリエネのアテナ・ポリアス神殿
 
 
ハリカルナッソスのマウソレウムです。
 
 
アテナ・ポリアス神殿は正面6本、側面11本の周柱式神殿で、
 
 
周柱の内部はプロナオス、ナオス、オピストドモスからなっています。
 
 
この神殿の平面では円柱の最下部にある正方形の基盤の幅6尺を基準とする格子の上に、
 
 
すべての柱や壁を割り付けるという、きわめて機械的な手法がとられています。
 
 
マウレソレウムでも6尺の格子の上にすべての部分が割り付けられ、
 
 
主要な部分が明快な比例関係で成り立っています。
 
 
 
 
 
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前6世紀まではギリシア都市は計画的に整備されることはほとんどなく
 
 
一言でいえば偶発的な都市形成を重ねていたそうです。
 
 
しかし前5世紀になって格子状街路計画(ヒポダモス式)が、
 
 
前4世紀になると都市の景観を重視した都市計画が取り入れるようになったそうです。
 
 
ヒポダモスはこの格子状街路計画の理論の集大成者であって、
 
 
この他にピレウスやロードスの都市計画も行ったそうです。
 
 
この頃の住宅は柱廊をもつ中庭に4~5室の部屋が開く中庭式住宅で、
 
 
各部屋の規模に大きな違いのないものとなっています。

 

 

アルカイック時代

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手工業の顕著な発展とそれを取り扱う交易の発達によって、
 
 
ギリシア世界は次第に貨幣経済に支配されるようになりました。
 
 
これによって血統ではなく経済力のある者が台頭し、
 
 
市民として都市の防衛にも力を発揮することになります。
 
 
その結果、貴族階級と平民階級の抗争が生じ
 
 
その対立の隙間を埋めるように各ポリスではスパルタを除き
 
 
名門貴族にかわって僭主が統治する場合が多くなったそうです(古代民主政)。
 
 
こうした政治状況の中で都市は、
 
 
市民生活の中心地としてのアゴラ、要塞と神域としてのアクロポリス、
 
 
崇拝の場としての神域といったように明快に区分されるようになっていきました
 
 
 
 
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神殿建築では前7世紀の中頃から切妻破風の三角形部分に装飾を施すことが始まりました
 
 
またこれまでの木造の柱・梁にテラコッタを貼り付ける神殿の構法から、
 
 
前600年頃を境に石造の建築へと次第に移行していきます。
 
 
このようにして神殿建築は4周に柱を立てめぐらす周柱式が最も一般的な形式となり
 
 
その平面形式の定型がほぼ完成します。
 
 
コリントのアポロ神殿はドリス式神殿の最も典型的な最初の完成された例で、
 
 
コリントのアポロ神殿.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
後のギリシアの神殿建築の規範となっているそうです。
 
 
梁に相当する部分は分厚く、柱頭の意匠は丸みを帯びて横への広がりの大きな形をなし、
 
 
全体としてシャープさに欠けたきわめて鈍重なプロポーションをなしています。
 
 
列柱で囲まれた内部はプロナオス、2つのナオス、オピストドモスの4つに分かれます。
 
 
ナオス内には円柱の列が二列あり、屋根を支えます。
 
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全体として丸みを帯びたやや重々しい感じのアルカイック時代の
 
 
ドリス式神殿が最も洗練されたものが、アエギナのアファイア神殿です。
 
 
アエギナのアファイア神殿.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3段の階段の上に正面6本側面12本の円柱が立つ周柱式で、石灰岩造のスタッコ仕上げです。
 
 
軒にあたるシーマや破風などの建築装飾を施す部分にまず取り入れられ、
 
 
次第に建物すべての材料として用いられるようになりました。
 
 
また、アルカイック期の特徴として、破風の彫刻は左右対称に配置されています
 
 
プロナオスとオピストドモスは柱の間に柱が2本立つ場合が一般的であり、
 
 
プロナオスの前面全体にわたって柱が立ち並ぶ形式をとることはありません。
 
 
また神室の壁の中心線と周柱の、柱の中心線はほとんど一致していないそうです。
 
 
 
 
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アファイア神域ではアルカイック時代の神域の構成がよく表れているそうです
 
 
この頃イオニア地方で3つのイオニア式巨大神殿の建設が始まりました。
 
 
サモスのヘラ神殿
 
 
サモスのヘラ神殿.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
エフェソスのアルテミス神殿
 
 
エフェソスのアルテミス神殿.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ディディマのアポロ神殿です。
 
 
ディディマのアポロ神殿.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
いずれも周囲に二重に柱をめぐらせる二重周柱式で、
 
 
内部はナオスとプロナオスのみでオピストドモスはありません。
 
 
ヘラ神殿ではナオス内に二列の柱が立ち屋根を支えていましたが、
 
 
ほかの2つの神殿のナオス内に独立柱は無く
 
 
おそらく屋根はかかっていなかったとみられています。
 
 
これら3つの巨大神殿にはいくつかの共通する特徴がみられ
 
 
それはこれまでのドリス式神殿にみられないものである。
 
 
二重周柱式であること、壁の中心線と周柱の柱の中心線がほぼ一致することです。
 
 
さらに正面と側面の柱間寸法は異なり、
 
 
ヘラやアルテミス神殿では正面の柱間は中央に行くほど広くなります。
 
 
 

幾何学式時代

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前1100年頃ドリス人が北方から本土へ侵入し、
 
 
村落を中心とした小さな都市国家(ポリス)が前8世紀頃から数多く形成され始め、
 
 
初めは王政を、次には貴族政の形をとっていたそうです。
 
 
ポリスは初め人々が集まり住んだものであって、
 
 
都市として整備されたものではなかったそうです。
 
 
農業を経済基盤としていたそうですが狭い耕地と乾燥した気候であったため、
 
 
各ポリスは人口の増加に対応することができなかったそうです。
 
 
そのため前750年ころよりギリシア人は南イタリアやシチリア、
 
 
黒海沿岸などに植民都市を建設し、地中海沿岸域で地域的な拡大を果たしました
 
 
 
 
 
 
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この時代にドリス式とイオニア式の2つの神殿建築様式が現れたのですが、
 
 
定型化するまでにはいたらなかったようです。
 
 
ドリス式の古い例にみると
 
 
アルゴスやオリンピアのヘラ神殿(前7世紀初めと前7世紀末)、
 
 
アルゴスのヘラ神殿.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(写真:アルゴスのヘラ神殿)
 
 
イズミアのポセイドン神殿(前8世紀)、
 
 
テルモンのアポロ神殿(前7世紀後半)
 
 
などがあげられ、
 
 
原型となる形はおそらくペロポネソス半島の北東部域のヘラ神殿
 
 
ではないかと考えられているそうです。
 
 
当初は柱や梁は木造で壁は日乾煉瓦を積み、矩形もしくは後壁が
 
 
アプス状をしたヘヤピンのような平面をなし、ナオス(神像をおさめた神室)と
 
 
ポーチをなすプロナオス(ナオスの前室で玄関ポーチ的役割)からなっていたそうです。
 
 
 
 
 
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次にオリンピアのヘラ神殿は最初期のドリス式神殿の特徴を最もよく示しているそうです。
 
 
オリンピアのヘラ神殿.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(写真:オリンピアのヘラ神殿)
 
 
神室内には壁際に沿って円柱と壁付き柱が交互に並んでいます。
 
 
柱は当初木造であったそうですが、再建の際に石造に置き換えられたそうです。
 
 
屋根は切妻で瓦が葺かれ、
 
 
彩色された大きな鬼瓦にあたるアクロテリオンが東正面に乗せられていたのだとか。
 
 
神殿の屋根が切妻になるのは前7世紀中頃以降で、それ以前は平屋根であったとされます。
 
 
イオニア式はドリス式ほど明確にその起源をたどることはできないそうです。
 
 
最古のイオニア式神殿はサモスのヘラ神殿で、前800年頃に建てられたもの。
 
 
壁は日乾き煉瓦で、木造の梁と屋根がかかっていたといわれます。
 
 
屋根は木造で、瓦ではなく突き固めた粘土で覆われていたと思われています。

 

 

 

今回はギリシア建築について時代ごとに書いていきたいと思います。
 
 
ギリシア文明はよく知られていると思いますが、
 
 
エーゲ海一帯ではクレタ文明とミュケナイ文明という文明が
 
 
ギリシア文明の一足先に興りました。
 
 
クレタ文明はクレタ島を中心に、
 
 
ミュケナイ文明はペロポネソス半島を中心に栄えました。
 
 
ギリシア文明は紀元前8世紀頃から生まれてきたポリスと称される
 
 
都市国家を基盤としていたそうですが、
 
 
クレタ文明やミュケナイ文明は
 
 
そのギリシア文明に少なからず影響を与えたそうです。
 
 
 
 
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クレタ文明は前3000年から前1100年頃までクレタ島を中心に栄え、
 
 
農業とエーゲ海を舞台とした周辺諸国との海上貿易によって繁栄を誇ったそうです。
 
 
その代表的な都市がクレタ島のクノッソス、マリア、ファイストスなどであり、
 
 
これらの宮殿建築はかなり広い矩形の中庭を持ち、
 
 
その周囲に様々な室がつらなっています。
 
 
階段を巧みに利用して高低差を生かした部屋の配置がなされており、
 
 
一見迷路のように見える平面も、関連する部屋はかなり合理的に置かれています
 
 
柱や梁は木造で、彩色が施され、柱は下に行くほど先細りとなる形を持っていました。
 
 
クノッソス宮殿.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(写真:クノッソス 宮殿)
 
 
 
 
 
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ミュケナイ文明はペロポネソス半島の南部で前1600年頃より興り、
 
 
前1400年頃にはクレタ島を制圧し、前1100年頃まで栄えました。
 
 
その代表的都市がミュケナイやティリンスである。
 
 
これらの都市は宮殿を中心としていることでは
 
 
クレタ文明の都市と共通しますが、建築物は異なります。
 
 
それは、ミュケナイやティリンスが巨石を用いた、
 
 
堅牢な城壁をめぐらした城塞都市をなしていることです。
 
 ミュケナイ城塞都市.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(写真:ミュケナイ 城塞都市図)
 
 
さらに宮殿はメガロンと称される規模の大きな種室を中心に構成されます。
 
 
メガロンは玄関ポーチ的な前室と居室にあたる後室からなり、
 
 
2階建てであったと考えられています。
 
 
前室には2本の柱が、後室には4本の柱が立ち、中央に炉が備えられていました。
 
 
このメガロンの平面形式は後のギリシア神殿の神室に受け継がれていきます
 
 
 
 
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■□今週の予定□■
20日(今回)         西洋建築史(2-1)クレタ建築とミュケナイ建築
21日(次回)         西洋建築史(2-2)幾何学式時代
22日                   西洋建築史(2-3)アルカイック時代
23日                   西洋建築史(2-4)クラシック時代
24日                   西洋建築史(2-5)ヘレニズム時代

西洋建築史(1‐5) 神殿建築

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ピラミッド以降の神殿建築をみてみると、
 
 
列柱とテラスを組み合わせた構成が特徴となっています。
 
 
ハトシェプスト女王葬祭殿は、
 
 
軸組的構成がより明瞭で、テラスも三段となっています。
 
ハトシェプスト女王葬祭殿.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(写真:ハトシェプスト女王葬祭殿)
 
 
列柱廊が全面でその上のテラスを支え、
 
 
その中央に斜路が設けられて、上段のテラスへ到るという構成で、
 
 
2段目のテラスを登ると列柱廊があり、
 
 
その奥に3段目のテラスが設けられ奥に聖所が作られています。
 
 
この葬祭殿と同じ形態の神殿に、カルナックのアモン大神殿があげられるそうです。
 
 
 
 
 
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アモン大神殿は第十八王朝から古代ローマ時代まで建造がおこなわれたそうで、
 
 
スフィンクス像を並べた参道から、塔門(ピュロン)を通ると
 
アメン大神殿 スフィンクス参道.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
列柱廊の囲む中庭、柱を林立させた多柱室が並んでいます。
 
アメン神殿 列柱室.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
このように軸線にそって建物を配置する構成はルクソールの神殿や、
 
 
カルナックのアモン神殿の神域に建てられたコンス神殿にもみられるそうです。
 
 
コンス神殿では、スフィンクスの参道から塔門を抜けて、
 
 
前庭、多柱室、聖舟室(船は太陽神がのって毎日天空を渡ることの象徴)、
 
 
聖所が軸線にそって整然と設けられていたそうです。
 
 
 
 

西洋建築史(1‐4) エジプト

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エジプトといえば砂漠やオアシス、それからピラミッド・・・
 
 
古王朝時代を象徴とするピラミッド。
 
 
初めは階段状ピラミッドから始まり、
 
階段状ピラミッド.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
続いて稜線が途中で折れ曲がった屈折ピラミッドを経て
 
屈折ピラミッド.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
現在私たちが最もよく知る四角錐のピラミッドになったそうです。
 
 
 
 
 葉っぱライン.gif
 
 
 
 
 
ピラミッドといえば王の墓廟ですよね。
 
 
しかし、墓廟としての建築はピラミッドの前に
 
 
マスタバというものがあったそうです。
 
マスタバ.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
マスタバとはアラビア語で「腰掛け」や「ベンチ」を意味する言葉なのだとか。
 
 
マスタバは平面が矩形で壁面が上方に向かうと同時に
 
 
内側に傾斜した台のような形をしています。
 
 
端的にいえば台形です。
 
 
このマスタバから階段状ピラミッドに移行し・・・
 
 
という風に考えられているそうです。
 
 
 
 
 
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さて、皆さんが思い浮かべるピラミッドはどのようなものでしょうか。
 
 
三つほど連なって、近くにスフィンクスがあって・・・
 
 
と思い浮かべませんでしたか?
 
 
そのピラミッドはギザのピラミッドです。
 
ギザのピラミッド.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
世界の七不思議(古代・古典)にも入っているそうです。
 
 
多分、世界的に一番有名なピラミッドなのではと思います。
 
 
ギザのピラミッドとは
 
 
クフの第一ピラミッド(最大規模)、
 
クフ王のピラミッド.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
カフラー第二ピラミッド、
 
カフラー王のピラミッド.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
メンカウラーの第三ピラミッド
 
メンカウラー王のピラミッド.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
を総称するものです。
 
 
また、クフのピラミッドは各辺が正しく東西南北を向き、
 
 
また各辺の長さがほぼ等しいそうです。
 
 
 
 
 
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「ピラミッドは上から作られた」と言われていた時期もありましたが、これは
 
 
仕上げ材の白色石灰岩が上部から張られていたからだそうですよ。

 

 次回は古代エジプトの神殿建築についてです。

 

西洋建築史(1‐3) ペルシア

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ペルシアは現在のイランのことです。
 
 
メソポタミアを破ったのはこのペルシア帝国になるそうです。
 
 
 
 
 
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メソポタミア東に位置するイラン高原ですが、
 
 
メソポタミア同様古い建築伝統をもった地域だそうです。
 
 
とくに、紀元前6世紀後半にメソポタミアから小アジア、
 
 
さらにエジプトまでを統一したペルシア帝国は、
 
 
帝都ペルセポリスの宮殿という建築遺構を残しています。
 
 
 ペルセポリスの宮殿.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(写真:ペルセポリスの宮殿)
 
 
ペルセポリス 復元図.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(写真:ペルセポリスの宮殿 復元図)
 
 
ペルセポリスの宮殿の全体は西側500メートル、南側300メートル、
 
 
高さが最高で12メートルの基壇のうえに建てられ、
 
 
北西側には大階段、
ペルセポリス 大階段.jpg
  
 
 
「万国の門」、
ペルセポリス 万国の門.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
謁見の間であるアパダーナ、
アパダーナ.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「百柱の間」などが配置されていたそうです。
ペルセポリス 百柱の間.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
最も重要とみられる建物はアパダーナで、中央広間の三方に列柱廊がつき、
 
 
広間に立つ円柱は高さが18メートルをこえ、
 
 
山頂部には牡牛を背中合わせにした3メートルほどもある柱頭が載せられています。
 アパダーナ 柱頭.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(写真:アパダーナ柱頭 ルーブル美術館)
 
 
この宮殿は王の住居というより、帝国の象徴で儀式の場であったと言われているそうです。
 
 

 

 

今回はメソポタミアの建築についてです。
 
 
 
 
メソポタミアと聞いてまず思い浮かべるのは「メソポタミア文明」でしょうか。
 
 
メソポタミアとはギリシア語で「ふたつの河の間」を意味するそうです。
(その名の通りティグリス川とユーフラテス川の流域にひろがる平坦な地域だったそうです。)
 
 
建築と呼べるモニュメントと都市が歴史上もっとも早く誕生した場所で、
 
 
人間の営みが始まったのはおよそ紀元前7000年頃といわれているそうです。
 
 
最後はアケメネス朝ペルシア帝国に滅ぼされたそうです。
 
 
 
 
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メソポタミアは豊かで平らな土地ということから、
 
 
古くから様々な民族が入り乱れて派遣を競う地域でもあったのだとか。
 
 
メソポタミアでは建築に用いられる質のよい木材が少なく
 
 
最初期は単に泥を練った練土が用いられ
 
 
その後、用いられるようになったのは日干煉瓦だったそうです。
 
 
この日干煉瓦は住宅から大きな構築物まで利用され、
 
 
さらに焼成煉瓦も使用されるようになったそうです。
 
 
型枠を使用せず煉瓦を少しずつ迫りだすように積んでいく
 
 
迫りだし式のアーチやヴォールト構法が発展したそうです。
 
 
 
 
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そのメソポタミアの代表的な建築物がジッグラトとよばれるものです。
 
  
これは紀元前3000年頃(シュメール・アッカド時代)の
 
 
都市の重要な展開がみられる時期にでてきたそうです。
 
 
ジッグラトとは「高い所」を意味するそうです。
 
 
階段状の建物で「聖塔」とも呼ばれるそうですが、
 
 
機能的には不明な点も多いのだとか。
 
 
代表的な遺構はウルのジッグラト
 
 
 
ウルのジッグラト 写真.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(写真)
 
 
ウルのジッグラト 想定図.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(復元図)
 
 
 
 
ウル第三王朝期、紀元前2100年頃の建造とみられているそうです。
 
 
他にも南部のウルク(ワルカ)、バビロン、
 
 
北部のドゥル・シャッルキン(コルサバート)など
 
 
メソポタミア各地で建てられていたのだとか。
 
 
 
 
 
木雲草原ライン.gif
 
 
 
 
 
バビロンのジッグラトは(紀元前6世紀頃)、
 
 
古代ギリシアのヘトロドトスの「歴史」にも登場し、
 
 
聖書バベルの塔の記述のもとになったとみられているそうです。
 
 
 
 
 

西洋建築史(1‐1)

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文学、数学、音楽、美術・・・
 
 
どの分野においても歴史があり、建築にも建築史という分野があります。
 
 
 
 
 
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建築史について、 東洋と西洋に大きく分けた場合
 
 
東洋では歴史の中で比較的国が安定しており、
 
 
「現存する国」内の戦や戦争が主であったことから、
 
 
国特有の建築史がはっきりしているのに対し、
 
 
西洋、特にヨーロッパは歴史上幾度となく国境が変動しており、
 
 
「現存する国」特有の建築史というものはあいまいになるそうです。
 
 
 
 
 
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わかりやすく言うと
 
 
中世までのヨーロッパは、江戸時代までの日本というところでしょうか。
 
 
形はほとんど変わらないのに、
 
 
各国の文化による特徴が付いたという感じかもしれません。
 
 
 
 
 
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西洋建築史としてひとつにまとめられても、
 
 
じっくり見れば国の特徴が見えてきます。
 
 
日本でも家の基本や形は変わらないのに、
 
 
各県によって地域性から屋根の形は違いますよね。
 
 
そのように小さいけれど確かに違いがあるそうです。
 
 
ということで、今週は西洋の建築史について書いていこうと思います。 
 
 
 
 
 
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                           ■□今週の予定□■
                             25日(今回)      西洋建築史(1‐1)
                             26日(次回)      西洋建築史(1‐2)メソポタミア
                             27日                西洋建築史(1‐3)ペルシア
                             28日                西洋建築史(1‐4)エジプト
                             30日                西洋建築史(1‐5)神殿建築

 

 

 

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