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サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂はヴェネツィアにある、
 
 
カトリック教会のバシリカ(集会施設)で、一般的にサルーテと縮めて呼ばれるそうです
 
 
美しい外観と顕著な履歴を持ち、イタリアで最も写真におさめられる場所なのだとか。
 
 
かつてヴェネツィアでの黒死病流行に伴った
 
 
聖人へ捧げる教会の建設を求める声があがっていたそうです。
 
 
当時アンドーレ・パアラディーオに
 
 
キリストに寄進するイル・レデントーレの設計依頼をしており、
 
 
1630年10月22日にヴェネツィア政府は新教会建設を宣言しました。
 
 
これは黒死病撲滅や守護聖人に捧げる物ではなく
 
 
様々な理由から共和国守護者の聖母マリアに捧げることが決まったそうです。
 
 
 
 
 
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競争で建物が選ばれることとなった11の具申の中から、
 
 
たった2つだけが最終審査に残り、
 
 
そのうちの建築家バルダッサーレ・ロンゲーナの新教会設計図が選ばれました。
 
 
聖堂が完成したのは、ロンゲーナが死ぬ1年前の1681年。
 
 
ロンゲーナの申し込みは他の案と比べて具体化された建築計画で、
 
 
構造と費用の詳細などが書かれていたそうです。
 
 
 
 
 
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サルーテ聖堂は巨大な八角形の建物で、
 
 
10万個の木片を組み合わせた土台の上に立っているそうです。
 
 
建材はイストリア産の石
 
 
マルモリノ(大理石の粉末で表面を覆った煉瓦)が使われています。
 
 
大きなドームはマリアの冠、
 
 
おちくぼんだ内装は彼女の墓、
 
 
八角形の八つの角と八辺はマリアの象徴である星を表すそうです。
 
 
サルーテ聖堂のドームはヴェネツィアのシンボルの一つとされています。

 

 

パンテオン

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パンテオン.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
パンテオンはローマ市内のパラティヌスの丘に建造された神殿です。
 
 
もともとは、様々なローマ神を奉る万神殿だったそうです。
 
 
最初のパンテオンは紀元前25年に、
 
 
初代ローマ皇帝であるアウグストゥスの側近、
 
 
マルクス・ウィプサニウス・アグリッパによって建造されたそうです。
 
 
アグリッパが建造した神殿はこのパンテオンのみであったため、
 
 
パンテオンはもともとアウグストゥスを奉ることを予定されていたものの、
 
 
市民の反発を避けるため、万神殿に変更されたとの説もあるそうです。
 
 
最初のパンテオンは、後に火事で焼失したそうです。
 
 
 
 
 
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2代目のパンテオンは118年から128年に掛けて
 
 
ローマ皇帝ハドリアヌスによって再建されたそうです。
 
 
この2代目パンテオンが現在ローマにあるパンテオンだそうです。
 
 
正面にはアグリッパに敬意を称し、              
 
 
M.AGRIPPA L.F.COS TERTIUM FECIT
 
 
(ルキウスの息子マルクス・アグリッパが、3度目のコンスルの際に建造)
 
 
と記されています。
 
 
 
 
 
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建物は、深さ4.5mのローマン・コンクリート基礎の上部に直径43.2mの円堂と
 
 
半球型のドームがのった構造で、壁面は厚さ6mになりますが、
 
 
高さによって材質を使い分けているそうで、
 
 
ドーム上部は凝灰岩と軽石を素材として用い、その厚さは1.5mになります。
 
 
床からドーム頂部までの高さは直径と同じ43.2mで、
 
 
頂上部分にはオルクス(ラテン語で「目」の意)
 
 
と呼ばれる採光のための開口部があります。
 
 
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ローマ神が信じられなくなった後も、この象徴的な空間性によって、
 
 
608年にはキリスト教の聖堂となり、破壊を免れました
 
 
また、この建物自体は非常に改築されにくい造りだそうです。
 
 
 

サンタンジェロ城

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サンタンジェロ城.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
サンタンジェロ城は、ローマのテヴェレ川右岸にある城塞です。
 
 
日本語訳では、聖天使城、カステル・サンタンジェロとも呼ばれます。
 
 
正面にはサンタンジェロ橋があり、
 
 
バチカンのサン・ピエトロ大聖堂とは秘密の通路で繋がっているといわれています。
 
 
 
 
 
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135年、皇帝ハドリアヌス自らの霊廟として建設を開始し、
 
 
アントニヌス・ピウス治世の139年に完成
 
 
霊廟はきれいな円形で、
 
 
太陽を象徴としたハドリアヌスが戦車を引く像が頂上に設置されました。
 
 
しばらくすると軍事施設として使用され始め
 
 
403年にはアウレリアヌスの城壁の一部に組み入れられ、
 
 
14世紀からは教皇たちにより要塞として強化され、
 
 
またその頃から牢獄や避難所として使用されたそうです。
 
 
クレメンス7世はローマが略奪を受けている間、
 
 
カール5世率いるドイツ人傭兵の包囲に抵抗するためこの機能を使用したそうです。
 
 
 
 
 
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サンタンジェロ城の名称は、590年にローマでペストが大流行した際、
 
 
当時の教皇グレゴリウス1世が城の頂上で権を鞘に納める大天使ミカエルを見て、
 
 
ペスト流行の終焉を意味するとしたことに由来する。
 
 
その出来事を記念して16世紀に
 
 
ラファエッロ・ダ・モンテルーポによる大理石製の天使の像が城の頂上に設置されました
 
 
現在の天使の像は1753年から設置された青銅製の像です。
 
 
サンタンジェロ城02.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

コロッセウム

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コロッセウム.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
コロッセウムはネロ帝の黄金宮殿の庭園にあった人工池の跡地に建設されたそうです。
 
 
工事はウェスパシアヌス治世の75年に始まり、
 
 
ティトゥス治世の80年から使用されるようになったそうです。
 
 
ちなみに、完成したのはドミティアヌスの治世中だそうです。
 
 
フラウィウス朝の皇帝が建設者であることから
 
 
フラウィウス闘技場」が本来の名前なのだそうです。
 
 
なぜコロッセウムと呼ばれるようになったかといえば、
 
 
ネロ帝の巨大な像(コロッスス)が傍らに立っていたためだといわれています。
 
 
 
 
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コロッセオは火山灰を利用したコンクリートでできています。
 
 
鉄筋を用いないコンクリートで幾多の地震に崩壊しなかったのは、
 
 
全体が円筒形で力学的に安定していたためなのだそうです。
 
 
中世を通じてコロッセウムに使用されている建材は、
 
 
ほかの建築物に流用され続けたそうです。
 
 
その大理石はバチカンのサン・ピエトロ大聖堂にも使用されているそうです。
 
 
それでも今現在の姿で残っているのは、
 
 
迫害されたキリスト教徒がここで殉職したと伝えられていたため、
 
 
一種の聖地となっていたからなのだそうです。
 
 
しかし、キリスト教徒が迫害されたという明確な証拠はないそうです。
 
 
ローマ教皇ベネディクトゥス14世が
 
 
コロッセオは神聖であるとして保存されるようになったそうです。
 
 
 
 
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現在外周は半分程度が残っています
 
 
古代の完全な状態に再現しようとする動きはなく、
 
 
このままの形で保存されていくと考えられているそうです。
 
 
1900年をこえた現在ではローマはイタリアの一都市となってしまったが、
 
 
コロッセオは古代ローマの象徴でありつづけています
 
 
かつて多くの殺人(公開処刑を含む)が行われた場所であることから、
 
 
現在では死刑廃止のイベントのために使用されているそうです。
 
 
11月30日の「死刑に反対する都市」の日、あるいは新たに死刑を廃止した国が出た時には、
 
 
その記念としてコロッセオがライトアップされます。
 
 
 
 
 
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大きさは直径188m、短径156mの楕円形で、高さは48m。
 
 
約45,000人を収容できたそうです。
 
 
また、天井部分は解放されていますが、日よけ用に布を張る設備があったのだとか。
 
 
皇帝席には一日中直射日光が当たらないように設計されており、
 
 
また一般の観客席についても
 
 
一日に20分以上日が当たらないように工夫がされていたそうです。
 
 
初期においては競技場にローマ水道より引いた水を張り、
 
 
模擬海戦を上演することさえ可能だったそうですが、
 
 
後に複雑な舞台装置を設置したため、
 
 
そのような水を使った大規模演出は不可能となったのだとか。
 
 
また、人力エレベーターの存在もあり、
 
 
これは剣闘の選手の入場のために用意されていました。
 
 
現在ではその巻き上げをおこなった柱の跡が残っているそうです。
 
 
コロッセウムの横には「メタ・スダンス(汗をかく標識)」という名の噴水が作られており、
 
 
戦いを終えた剣闘士もここで体を洗ったと伝えられています。
 
 
 

 

6月27日は何の日・・・?

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台風の影響で先週は、平日は暑く週末は涼しい一週間でした。
 
 
今日は昨日よりも気温が10℃高いそうですね。
 
 
夏風邪はしつこいので、体調管理に気を配ってください。
 
 
 
 
 
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さて、本日6月27日は何の日か知っていますか?
 
 
今日は日照権の日です。
 
 
1972年のこの日、違法建築の隣家によって日照を奪われた問題で、
 
 
最高裁が「日照権と通風権が法的に保護するのに値する」という初めての判決をし、
 
 
日照権・通風権が確立しました
 
 
今では当たり前になっているこの権利も、
 
 
1972年のこの日以前は通っていなかったということですね。
 
 
今では考えられませんよね(^^;)
 
 
 
 
 
 
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ちなみに今月25日は住宅デー」、26日は露天風呂の日でした。
 
 
住宅デーは1978年に全国建設労働組合総連合が、
 
 
スペインの建築家であるアントニオ・ガウディの誕生日のこの日に制定したそうです。
 
 
露天風呂の日は「六(ろ)・(てん)二(ふ)六(ろ)」の語呂合わせで、
 
 
岡山県湯原町(現真庭市)の湯原温泉が1987年に制定したそうです。
 
 
 

ヘレニズム時代

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前323年のアレクサンドロス大王の死からエジプトがローマの属州となる前31年までの期間は
 
 
エーゲ海を中心としたギリシア世界と
 
中近東のオリエント世界との文化的接触の時代であったそうです。
 
 
大王の死後に一時混乱の時代を迎えたそうですが、
 
 
セレコウス朝による中近東から小アジアまでの地域
 
 
プトレマイオス超によるエジプト
 
 
ギリシア本土北方のマケドニア
 
 
エーゲ海一帯
 
 
という四つの地域に分かれたそうです。
 
 
 
 
 
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この時代の特徴の第一は、対象となる世界の地域的な拡大です
 
 
前半は小アジアを中心とした東地中海世界を、
 
 
第2世紀中頃以降はローマまでを巻き込んだ地中海沿岸全域を舞台とする
 
 
ようになっていったそうです。
 
 
その結果、コスモポリタン的思想が生まれたのだそうです。
 
 
それにしたがい、建築においてもその理念化や平準化が進み、
 
 
ヘルモゲネスやヘルモドロスのような真の意味でのインターナショナルな建築家が出現しました。
 
 
彼らは建築書を書き残すとともに、自らの能力を最大限に生かせる場を求めて、
 
 
地中海世界全体を相手に活躍することになります。
 
 
 
 
 
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第二の特徴は、建築の空間というものがより明確に認識されるようになったことです。
 
 
それは人間が特定の意思のもとに統制できる空間を作り出すことであって、
 
 
矩形の広場や軸線的な計画の中にみることができます。
 
 
この傾向はローマ建築に引き継がれ、そこで結実することになります。
 
 
 
 
 
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第三の特徴は、従来の宗教建築のみを中心とした建築の発展ではなく、アゴラや
 
 
それに付随する集会施設や劇場などの公共建築が充実するようになったことです。
 
 
パルテノン神殿以降、神殿建築の中心がドリス式からイオニア式に移っていきました。
 
 
ヘレニズム期を代表する神殿建築はヘルモゲネスによる一連のイオニア式神殿です。
 
 
その好例がマグネシアのアルテミス神殿です。
 
 
神域の構成ではペルガモンのアテナ神域のように、
 
 
列柱廊で矩形に近い神域を作りながらも神殿は斜めに見えるように配置する
 
 
アルカイック時代以来の伝統的手法が継承されています
 
 
ですがもう一方では、列柱で囲まれた完全に矩形の広場を作り出し、
 
 
そこに軸線を通すような空間の秩序化が興っています。
 
 
 
 
 
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マグネシアのアルテミス神殿では整然とした神域の中央に神殿が立ち、
 
 
その中央軸戦場にプロピュロンが開いています。
 
 
アゴラにおいても明確な軸線は形成されないですが、
 
 
柱列で完全に取り込まれたモニュメンタルな広場へとその姿を変えていきます
 
 
たとえばプリエネやミレトスのアゴラでは
 
 
「コの字」や「L字」形の列柱廊でかこまれた矩形の広場をなし、
 
 
その周囲にブーレウテリオンなどの公共施設がおかれています。
 
 
こうした空間の秩序化と軸線性は単一の建物にも適用されるようになっていきます。
 
 
ミレトスのブーレウテリオンは、入り口、列柱廊、祭壇、半円形の集会場が
 
 
中心軸上に並び、左右対称になっています
 
 
 
 
 
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プリエネやデロス島の前3~2世紀の住宅は、石造が一般的となり、2~3階建てとなります。
 
 
基本は中庭式で、立派なつくりの場合は周柱廊がそこにめぐり、
 
 
中庭の下には貯水槽が設けられることもあったそうです。
 
 
各部屋は中庭に面し、できるだけ北側に部屋を集め、南側は開けられ、
 
 
主室がほかの部屋に比べ際立って大きくなっています。
 
 
室内にはモザイクの舗床を施し、壁面には壁画が描かれ、
 
 
内部意匠が極めて豊かになり、ローマの住宅へとその手法は受け継がれていきました
 
 
 
 
 
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戦闘技術の向上により都市の城壁はより強固になり、アクロポリスは要塞化し、
 
 
市民生活の中心としてのアゴラより壮麗に整備されるようになっていきます。
 
 
新しく建設される都市では格子状に街路計画が用いられる一方で、
 
 
景観を重視したスケノグラフィア的都市計画も発展します。
 
 
その代表例が前2世紀から始まったペルガモンの都市計画です。
 
 
急峻な斜面に沿って設けられた幾段ものテラス、それを支持する擁壁、
 
 
それぞれのテラス上に置かれる神殿や公共建築群は一体となっています。
 
 
このようにヘレニズム時代における空間の秩序化
 
 
洗練された神殿形式やオーダーの意匠
 
 
住宅の形式などは前2世紀以降、共和政ローマ建築を飲み込んでいったようです。
 
 
 

 

クラシック時代

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パルテノン神殿はギリシア人が追い求めてきた建築美を達成した傑作であるとされます。
 
 
ギリシア パルテノン神殿.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(写真:パルテノン神殿)
 
 
建物はすべてペンテリコン産の白大理石造で、
 
 
3段の階段の上に正面8本、側面17本の間柱式です。
 
 
側面の柱数を正面柱数の2倍プラス1本とすること、
 
 
プロナオスとオピストドモスの前面に円柱を立て並べること、
 
 
ナオスの後ろの西室に4本のイオニア式円柱を用いたこと、
 
 
神室の梁にあたるフリーズに連続した浮き彫り装飾を施したこと
 
 
などはイオニア式神殿の影響とみられています。
 
 
ドリス式の柱のふくらみはわずかで直線的になり、
 
 
柱頭の輪郭も従来よりも直線的になっており、
 
 
さらに階段と梁が極めてゆるやかな円弧上にふくらみ、
 
 
隅の柱は若干太くかつ内側へ傾斜して立ち、
 
 
隅の柱間は狭くするといった極めて精緻な視覚補正の手法は、
 
 
長年試みられていた手法を踏まえた上での視覚芸術としての
 
 
建築の特性を高めた結果ともいえます。
 
 
 
 
 
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パルテノン神殿は4人による共同作品であったそうです。
 
 
総指揮をフィディアスがとり、イクティノスカリクラテスカルピオンが参加。
 
 
イクティノスはドリス式の支持者で革新主義の旗手であり、
 
 
後にドリス式でバッサイのアポロ神殿を建てています。
 
 
バッサイ アポロ神殿.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(写真:バッサイ アポロ神殿)
 
 
一方カリクラテスはイオニア式の支持者で伝統主義の旗手であり、
 
 
後に同じアクロポリス上のアテナ・ニケ神殿をイオニア式で建てています。
 
 
アテナ・ニケ神殿.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(写真:アテナ・ニケ神殿)
 
 
この二人の個性のぶつかり合いがドリス式とイオニア式の融合という
 
 
稀有な結果となってパルテノン神殿に表れたとされます。
 
 
カルピオンは建築書を著したといわれています。
 
 
 
 
 
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バッサイのアポロ神殿(前429年工事開始、未完)では
 
 
コリント式柱頭が初めて神殿建築に登場するそうです。
 
 
コリント式オーダーはその後テゲアのアテナ・アレア神殿内部(前350頃)にも登場するそうですが、
 
 
コリント式オーダーとしての最も美しい体裁を整えるのは
 
 
エピダウロスの円形の建物ソロスであるそうです。
 
 
南イタリアやシチリア島のギリシア植民都市では
 
 
前6世紀の中頃から数多くの神殿が建設されており、
 
 
その代表例がセリヌスに立つ神殿やパエストゥムのポセイドン神殿です。
 
 
これらの植民都市のギリシア神殿はギリシア本土の神殿とは外見は似ているものの、
 
 
いくつかの相違がみられるそうです。
 
 
 
 
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前4世紀にはパルテノン神殿で頂点に達したドリス式にかわって
 
 
イオニア式がその新しい建築的規範を確立していきます。
 
 
それは単純な格子による平面計画、明快な比例関係、
 
 
イオニア式オーダーの整った形の成立であり、
 
 
その代表例がピテオスによるプリエネのアテナ・ポリアス神殿
 
 
ハリカルナッソスのマウソレウムです。
 
 
アテナ・ポリアス神殿は正面6本、側面11本の周柱式神殿で、
 
 
周柱の内部はプロナオス、ナオス、オピストドモスからなっています。
 
 
この神殿の平面では円柱の最下部にある正方形の基盤の幅6尺を基準とする格子の上に、
 
 
すべての柱や壁を割り付けるという、きわめて機械的な手法がとられています。
 
 
マウレソレウムでも6尺の格子の上にすべての部分が割り付けられ、
 
 
主要な部分が明快な比例関係で成り立っています。
 
 
 
 
 
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前6世紀まではギリシア都市は計画的に整備されることはほとんどなく
 
 
一言でいえば偶発的な都市形成を重ねていたそうです。
 
 
しかし前5世紀になって格子状街路計画(ヒポダモス式)が、
 
 
前4世紀になると都市の景観を重視した都市計画が取り入れるようになったそうです。
 
 
ヒポダモスはこの格子状街路計画の理論の集大成者であって、
 
 
この他にピレウスやロードスの都市計画も行ったそうです。
 
 
この頃の住宅は柱廊をもつ中庭に4~5室の部屋が開く中庭式住宅で、
 
 
各部屋の規模に大きな違いのないものとなっています。

 

 

アルカイック時代

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手工業の顕著な発展とそれを取り扱う交易の発達によって、
 
 
ギリシア世界は次第に貨幣経済に支配されるようになりました。
 
 
これによって血統ではなく経済力のある者が台頭し、
 
 
市民として都市の防衛にも力を発揮することになります。
 
 
その結果、貴族階級と平民階級の抗争が生じ
 
 
その対立の隙間を埋めるように各ポリスではスパルタを除き
 
 
名門貴族にかわって僭主が統治する場合が多くなったそうです(古代民主政)。
 
 
こうした政治状況の中で都市は、
 
 
市民生活の中心地としてのアゴラ、要塞と神域としてのアクロポリス、
 
 
崇拝の場としての神域といったように明快に区分されるようになっていきました
 
 
 
 
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神殿建築では前7世紀の中頃から切妻破風の三角形部分に装飾を施すことが始まりました
 
 
またこれまでの木造の柱・梁にテラコッタを貼り付ける神殿の構法から、
 
 
前600年頃を境に石造の建築へと次第に移行していきます。
 
 
このようにして神殿建築は4周に柱を立てめぐらす周柱式が最も一般的な形式となり
 
 
その平面形式の定型がほぼ完成します。
 
 
コリントのアポロ神殿はドリス式神殿の最も典型的な最初の完成された例で、
 
 
コリントのアポロ神殿.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
後のギリシアの神殿建築の規範となっているそうです。
 
 
梁に相当する部分は分厚く、柱頭の意匠は丸みを帯びて横への広がりの大きな形をなし、
 
 
全体としてシャープさに欠けたきわめて鈍重なプロポーションをなしています。
 
 
列柱で囲まれた内部はプロナオス、2つのナオス、オピストドモスの4つに分かれます。
 
 
ナオス内には円柱の列が二列あり、屋根を支えます。
 
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全体として丸みを帯びたやや重々しい感じのアルカイック時代の
 
 
ドリス式神殿が最も洗練されたものが、アエギナのアファイア神殿です。
 
 
アエギナのアファイア神殿.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3段の階段の上に正面6本側面12本の円柱が立つ周柱式で、石灰岩造のスタッコ仕上げです。
 
 
軒にあたるシーマや破風などの建築装飾を施す部分にまず取り入れられ、
 
 
次第に建物すべての材料として用いられるようになりました。
 
 
また、アルカイック期の特徴として、破風の彫刻は左右対称に配置されています
 
 
プロナオスとオピストドモスは柱の間に柱が2本立つ場合が一般的であり、
 
 
プロナオスの前面全体にわたって柱が立ち並ぶ形式をとることはありません。
 
 
また神室の壁の中心線と周柱の、柱の中心線はほとんど一致していないそうです。
 
 
 
 
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アファイア神域ではアルカイック時代の神域の構成がよく表れているそうです
 
 
この頃イオニア地方で3つのイオニア式巨大神殿の建設が始まりました。
 
 
サモスのヘラ神殿
 
 
サモスのヘラ神殿.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
エフェソスのアルテミス神殿
 
 
エフェソスのアルテミス神殿.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ディディマのアポロ神殿です。
 
 
ディディマのアポロ神殿.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
いずれも周囲に二重に柱をめぐらせる二重周柱式で、
 
 
内部はナオスとプロナオスのみでオピストドモスはありません。
 
 
ヘラ神殿ではナオス内に二列の柱が立ち屋根を支えていましたが、
 
 
ほかの2つの神殿のナオス内に独立柱は無く
 
 
おそらく屋根はかかっていなかったとみられています。
 
 
これら3つの巨大神殿にはいくつかの共通する特徴がみられ
 
 
それはこれまでのドリス式神殿にみられないものである。
 
 
二重周柱式であること、壁の中心線と周柱の柱の中心線がほぼ一致することです。
 
 
さらに正面と側面の柱間寸法は異なり、
 
 
ヘラやアルテミス神殿では正面の柱間は中央に行くほど広くなります。
 
 
 

幾何学式時代

|

  

前1100年頃ドリス人が北方から本土へ侵入し、
 
 
村落を中心とした小さな都市国家(ポリス)が前8世紀頃から数多く形成され始め、
 
 
初めは王政を、次には貴族政の形をとっていたそうです。
 
 
ポリスは初め人々が集まり住んだものであって、
 
 
都市として整備されたものではなかったそうです。
 
 
農業を経済基盤としていたそうですが狭い耕地と乾燥した気候であったため、
 
 
各ポリスは人口の増加に対応することができなかったそうです。
 
 
そのため前750年ころよりギリシア人は南イタリアやシチリア、
 
 
黒海沿岸などに植民都市を建設し、地中海沿岸域で地域的な拡大を果たしました
 
 
 
 
 
 
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この時代にドリス式とイオニア式の2つの神殿建築様式が現れたのですが、
 
 
定型化するまでにはいたらなかったようです。
 
 
ドリス式の古い例にみると
 
 
アルゴスやオリンピアのヘラ神殿(前7世紀初めと前7世紀末)、
 
 
アルゴスのヘラ神殿.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(写真:アルゴスのヘラ神殿)
 
 
イズミアのポセイドン神殿(前8世紀)、
 
 
テルモンのアポロ神殿(前7世紀後半)
 
 
などがあげられ、
 
 
原型となる形はおそらくペロポネソス半島の北東部域のヘラ神殿
 
 
ではないかと考えられているそうです。
 
 
当初は柱や梁は木造で壁は日乾煉瓦を積み、矩形もしくは後壁が
 
 
アプス状をしたヘヤピンのような平面をなし、ナオス(神像をおさめた神室)と
 
 
ポーチをなすプロナオス(ナオスの前室で玄関ポーチ的役割)からなっていたそうです。
 
 
 
 
 
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次にオリンピアのヘラ神殿は最初期のドリス式神殿の特徴を最もよく示しているそうです。
 
 
オリンピアのヘラ神殿.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(写真:オリンピアのヘラ神殿)
 
 
神室内には壁際に沿って円柱と壁付き柱が交互に並んでいます。
 
 
柱は当初木造であったそうですが、再建の際に石造に置き換えられたそうです。
 
 
屋根は切妻で瓦が葺かれ、
 
 
彩色された大きな鬼瓦にあたるアクロテリオンが東正面に乗せられていたのだとか。
 
 
神殿の屋根が切妻になるのは前7世紀中頃以降で、それ以前は平屋根であったとされます。
 
 
イオニア式はドリス式ほど明確にその起源をたどることはできないそうです。
 
 
最古のイオニア式神殿はサモスのヘラ神殿で、前800年頃に建てられたもの。
 
 
壁は日乾き煉瓦で、木造の梁と屋根がかかっていたといわれます。
 
 
屋根は木造で、瓦ではなく突き固めた粘土で覆われていたと思われています。

 

 

 

今回はギリシア建築について時代ごとに書いていきたいと思います。
 
 
ギリシア文明はよく知られていると思いますが、
 
 
エーゲ海一帯ではクレタ文明とミュケナイ文明という文明が
 
 
ギリシア文明の一足先に興りました。
 
 
クレタ文明はクレタ島を中心に、
 
 
ミュケナイ文明はペロポネソス半島を中心に栄えました。
 
 
ギリシア文明は紀元前8世紀頃から生まれてきたポリスと称される
 
 
都市国家を基盤としていたそうですが、
 
 
クレタ文明やミュケナイ文明は
 
 
そのギリシア文明に少なからず影響を与えたそうです。
 
 
 
 
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クレタ文明は前3000年から前1100年頃までクレタ島を中心に栄え、
 
 
農業とエーゲ海を舞台とした周辺諸国との海上貿易によって繁栄を誇ったそうです。
 
 
その代表的な都市がクレタ島のクノッソス、マリア、ファイストスなどであり、
 
 
これらの宮殿建築はかなり広い矩形の中庭を持ち、
 
 
その周囲に様々な室がつらなっています。
 
 
階段を巧みに利用して高低差を生かした部屋の配置がなされており、
 
 
一見迷路のように見える平面も、関連する部屋はかなり合理的に置かれています
 
 
柱や梁は木造で、彩色が施され、柱は下に行くほど先細りとなる形を持っていました。
 
 
クノッソス宮殿.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(写真:クノッソス 宮殿)
 
 
 
 
 
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ミュケナイ文明はペロポネソス半島の南部で前1600年頃より興り、
 
 
前1400年頃にはクレタ島を制圧し、前1100年頃まで栄えました。
 
 
その代表的都市がミュケナイやティリンスである。
 
 
これらの都市は宮殿を中心としていることでは
 
 
クレタ文明の都市と共通しますが、建築物は異なります。
 
 
それは、ミュケナイやティリンスが巨石を用いた、
 
 
堅牢な城壁をめぐらした城塞都市をなしていることです。
 
 ミュケナイ城塞都市.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(写真:ミュケナイ 城塞都市図)
 
 
さらに宮殿はメガロンと称される規模の大きな種室を中心に構成されます。
 
 
メガロンは玄関ポーチ的な前室と居室にあたる後室からなり、
 
 
2階建てであったと考えられています。
 
 
前室には2本の柱が、後室には4本の柱が立ち、中央に炉が備えられていました。
 
 
このメガロンの平面形式は後のギリシア神殿の神室に受け継がれていきます
 
 
 
 
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■□今週の予定□■
20日(今回)         西洋建築史(2-1)クレタ建築とミュケナイ建築
21日(次回)         西洋建築史(2-2)幾何学式時代
22日                   西洋建築史(2-3)アルカイック時代
23日                   西洋建築史(2-4)クラシック時代
24日                   西洋建築史(2-5)ヘレニズム時代

和風、アジアンスタイル

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和風スタイル
 
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和風スタイルは私たち日本人にとって最も身近なスタイルだと思います。
 
 
しかし、近年は西洋のおしゃれな家具を飾った部屋などが人気となっています。
 
 
和風といっても、昔から生活様式である「畳に座る」生活にこだわったものではなく、
 
 
カントリーやモダンを取り入れたスタイルもあります。
 
 
和風の代表的なアイテムには、畳や障子、すだれなどがあります。
 
 
テーブルや椅子などの現代的な暮らしのスタイルに、
 
 
これらのアイテムや藍染めなどの布製品や骨董品を組み合わせた
 
 
静かなたたずまいの部屋を民芸風といいます。
 
 
民芸風の部屋の家具は品の良い和家具で揃え、背丈の低いものを選ぶと、
 
 
部屋が重たい雰囲気にならず、落ち着いた空間になります。
 
 
また部屋のつくりや建具などは日本の伝統的な工法のままで、
 
 
和にこだわったインテリアではなく、
 
 
モダンなデザインの家具やインテリアに障子などの和アイテムを取り入れた
 
 
和洋の調和が重視されたスタイルを和風モダンといいます。
 
 
和風スタイルの部屋の床には、竹のフローリングや肌触りのいいイグサの畳が主流で、
 
 
天井や壁は布製のクロスでまとめると、落ち着いた空間になります。
 
 
 
 
 
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アジアンスタイル
 
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アジアンスタイルとは、中国や韓国はもちろん、インドネシア、インド、
 
 
タイなどのアジアの国々の伝統工芸品や民芸品や家具でまとめられている
 
 
独特の雰囲気が特徴です。
 
 
アジアンスタイルの部屋の特徴は、バンブーや麻などの素朴な自然素材や、
 
 
伝統的な民芸家具、織物により、落ち着いた雰囲気のスタイルです。
 
 
床の素材はサイザイル麻、天井にも麻の素材を用いるとシックな雰囲気になります。
 
 
このスタイルの部屋の色調は、ブラウンが基調色であり、
 
 
安らぎや落ち着き、自然を感じさせますが、
 
 
微妙な色遣いにより重苦しくなることがあるので注意してください。
 
 
アジアンスタイルには様々な国のスタイルがありますが、
 
 
若い人中心に人気があるのがエスニックスタイルです、
 
 
このスタイルは国を限定せずに、アジア各国の民芸品や家具などで、
 
 
いろいろな国が混在している無国籍風の独特の雰囲気のスタイです。
 
 
国によって素材や雰囲気が変わってくるので、
 
 
同じ国の民芸品や家具で統一するとまとまった感じになります。
 
 
 
 

 

ミッドセンチュリースタイル
 
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ミッドセンチュリーとは世紀の真ん中という意味であり、
 
 
1950年を中心とする1940~1960年代のことを指します。
 
 
この時代には第二次世界大戦の需要産業によりさまざまな新素材が開発され、
 
 
また工業発達により大量生産が可能となったことに影響され
 
 
多くの才能のあるデザイナー達によって
 
 
斬新なデザインで機能的かつローコストな家具が生み出されました。
 
 
この時代のデザイナーには、
 
 
チャールズ&レイ・イームズ
 
 
アルネ・ヤコブセン
 
 
ル・コルビジェ
 
 
ハンス・J・ウェグナー
 
 
柳 宗理
 
 
などがいます。
 
 
ミッドセンチュリースタイルとはこれらのデザイナーによって作られた家具や
 
 
その時代の雑貨などでレイアウトされた部屋のことをいいます。
 
 
 
 
 
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カントリースタイル
 
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カントリースタイルとはその意味の通り田舎風の部屋のことをいい、
 
 
田舎暮らしに合ったカジュアルなスタイルの部屋のことをいいます。
 
 
クラシックスタイルのような高級感は全くなく、
 
 
自然素材を使った素朴で温かみのある部屋です。
 
 
カントリースタイルにはヨーロッパカントリーとアメリカンカントリーの2種類があります。
 
 
どちらの部屋にも共通するのが素朴なものを使った
 
 
手作り感溢れる雰囲気が特徴だということです。
 
 
ヨーロッパカントリーの部屋の特徴は、
 
 
イギリス庶民の田舎風の部屋で、
 
 
オークやパイン素材の家具などにハンドペイントを施してドライフラワーを飾るなど、
 
 
手作りによるぬくもりのある部屋です。
 
 
これに対し、アメリカンカントリーの部屋の特徴は、
 
 
アメリカ開拓時代の機能性のある荒削りな素朴間のあるインテリアスタイルです。
 
 
カントリースタイルの部屋の色調は、
 
 
木のぬくもりを感じられるブラウンを基調とし、
 
 
アクセントに黄色や青のストライプをつかったり、
 
 
トールペイントなどの手作り感のある色味を使います。
 
 
 

 

モダン・クラシックスタイル

|

  

モダンスタイル
 
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モダンスタイルとは国や文化によっての分類はなく
 
 
飾り気のない、直線的で斬新なデザインのインテリア
 
 
まとめられた部屋のことをいいます。
 
 
モダンスタイルには、イタリアンモダンやフレンチモダン、
 
 
インターナショナル、ロンドンミニマリズムなどのたくさんの種類があります。
 
 
この中でも日本で人気のあるスタイルはイタリアンモダンスタイルだそうです。
 
 
このスタイルのインテリア雑貨は少々値段が張りますが、
 
 
シンプルで高級感のあるアイテムや遊び心のある斬新なデザインや色の小物など選んで、
 
 
自分流のモダンな部屋を作ることが出来ます。
 
 
モダンスタイルの部屋の色調はモノトーンがベースで、
 
 
デザイナーズ家具との組み合わせにより、クールな空間を演出しています。
 
 
床の素材は大理石、壁にはホワイトのクロスや石を使うこともあります。
 
 
 
 
 
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クラシックスタイル
 
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クラシックスタイルとは、中世~近世のヨーロッパの伝統的な宮殿の
 
 
古典的な装飾様式を取り入れた格調高いスタイルのことを言います。
 
 
クラシックスタイルの特徴は、テーブルや椅子などの家具に猫足が使われていて、
 
 
華やかな柄をあしらった色味の深いカーテンなど、
 
 
あらゆる家具や小物において豪華さと格式のある優雅な雰囲気のスタイルです。
 
 
このクラシックスタイルは、ヨーロピアンクラシックと
 
 
イングリッシュまたはアメリカントラディショナルなどに分類されます。
 
 
ヨーロピアンクラシックとは、ルネッサンスやバロック、
 
 
ロココそれぞれの装飾様式に典型的な重厚さを加えたスタイルのことをいいます。
 
 
イングリッシュトラディショナルとは、
 
 
重厚感あふれるアンティーク家具や、
 
 
バラなどの華やかで気品のある柄のファブリックを中心とした
 
 
イギリスの伝統スタイルのことを言います。
 
 
アメリカントラディショナルとはイングリッシュトラディショナルの
 
 
クラシックスタイルの特徴をおさえつつ、
 
 
アメリカ風の親しみやすい雰囲気にアレンジしたスタイルのことをいいます。
 
 
このスタイルの色調はダークブラウンを基調とした暖色系です。

 

 

 

シンプル・ナチュラルスタイル

|

 

シンプルスタイル
 
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シンプルを直訳すると「飾り気のない、単純なさま」という意味です。
 
 
この意味の通りシンプルスタイルの部屋は飾り気のない
 
 
家具のデザインも曲線を使わない
 
 
カラフルな色は使わないというのが特徴です。
 
 
このシンプルスタイルの部屋は、
 
 
合板やプラスチック、スチールなどの現代的な素材を使う、
 
 
フォーマルで飽きのこないスタイルです。
 
 
また、シンプルな家具で統一されているわりには、
 
 
アイボリーのような柔らかい色調のものを使っているため、
 
 
クールではなく温かみが感じられる部屋の雰囲気となっています。
 
 
シンプルスタイルとモダンスタイルの中間に位置する北欧スタイルは、
 
 
プラスチック素材の家具絵御使用した場合モダンスタイルに分類されます。
 
 
この他にヨーロピアンシンプルスタイルもあります。
 
 
 
 
 
 
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ナチュラルスタイル
 
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ナチュラルスタイルとは、「ナチュラル=自然、天然」の意味の通り、
 
 
木の素材を使った家具を中心に、自然素材の小物などを使った、
 
 
明るくてぬくもりのあるスタイルのことを言います。
 
 
このナチュラルスタイルは、自然素材である木の質感と生成りやベージュ、
 
 
アイボリーといった色調を基調とした明るくて癒される空間で、
 
 
インテリアスタイルの中で最も人気のあるスタイルです。
 
 
ナチュラルスタイルには北欧(自然素材の家具を使用した場合)スタイルや
 
 
サンタフェスタイルなどの種類があります。
 
 
北欧スタイルとは、無垢の木や曲がり木、布、籐、イグサなどの自然素材を使った
 
 
ヨーロピアンな雰囲気を持つ、
 
 
シンプルかつ実用性に富んだデザインが特徴のスタイルです。
 
 
サンタフェスタイルとはスペイン文化とインディアン文化とが融合したスタイルで、
 
 
スペイン風の木の家具やインディゴや草木染めのコットン、
 
 
テラコッタなどを組み合わせた、くつろいだ雰囲気が特徴のスタイルです。
 
 
床はクリア塗装のフローリングで、壁と天井はシンプルな城の壁紙を使います。
 
 
すっきりしすぎないために観葉植物などを置くとアクセントになり、
 
 
物足りなさを解消できるようです。

 

インテリアスタイル

|

 

インテリアについて、色と方角について書いてきましたが、
 
 
色を統一しても、家具や小物のデザインがばらばらでは、
 
 
せっかくまとめた部屋も意味がなくなります。
 
 
部屋に統一感を持たせるには色だけではなく、
 
 
家具や小物のデザイン、
 
 
つまりインテリアスタイルで統一することが求められます。
 
 
 
 
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インテリアスタイルには大きく分けると
 
 
シンプルスタイル
 
ナチュラルスタイル
 
モダンスタイル
 
クラシックスタイル
 
ミッドセンチュリースタイル
 
カントリースタイル
 
和風スタイル
 
アジアンスタイル
 
 
などがあります。
 
 
今回はインテリアスタイルについて書いていきたいと思います。
 
 
 
 
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■□今回の予定□■
13日(今回)  インテリアスタイル
15日(次回)  シンプル、ナチュラルスタイル
16日       モダン、クラシックスタイル
17日       ミッドセンチュリー、カントリースタイル
18日       和風、アジアンスタイル
 
 

 

書院

|

  

書院の歴史には諸説ありますが、
 
 
一説では僧が経巻を開き、写経等が行われた所であるといわれています。
 
 
書院の発生は建具に関係があると考えられています。
 
 
 
 
 
 
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寝殿造では、「蔀戸(シトミド)」が用いられ、
 
 
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天気の良い日はこれを上げることで光を入れていたそうですが、
 
 
荒天になるとこれを閉ざしたとされていますが、
 
 
これを閉ざすと部屋には光が入らず、真っ暗になってしまうそうです。
 
 
そこで本屋より外屋(ゲヤ)を少し出して明障子を入れ、
 
 
読み書きができ、風雨による損害を最小限にしようとしたのが
 
 
書院の始まりであるとされています。
 
 
 
 
 
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鎌倉時代になると3本溝が採用され、
 
 
板戸、舞良戸2枚に明障子1枚が立てられ、
 
 
光の問題はなくなりましたが、
 
 
不要になったからと言って書院はなくならず
 
 
読み書きができる教養の建具立として、
 
 
床の間、床脇とともに重要な座敷飾の分野として残ったそうです。
 
 
 
 
 
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書院は平書院付書院に分けられます。
 
 
平書院は床の間と縁側の境の壁に窓を取付けたもので、
 
 
窓の形には丸窓、火灯窓、角柄窓(ツノガラマド)、下地窓があります。
 
 
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付書院は出書院ともいい、縁側に出る室内の出窓のような形です。
 

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床脇・違棚と袋戸棚

|

 

床脇は、棚が設けられ、書物や巻物を置く場所です。
 
 
これがあることは当主の教養の深さを表わすことから、
 
 
ステータスとして形式化されたものであるそうです。
 
 
厳格な床の間には高雅な床脇を作りますが、
 
 
お洒落なものや、粋なもの、
 
 
それぞれに合ったものを工夫することでパターンは増えていきます。
 
 
設備から考えると、
 
 
天袋、違棚、地袋のあるもの
 
天袋と違棚のもの
 
天袋と地袋のもの
 
天袋のみのもの
 
棚のみのもの(一枚棚、違棚、隅棚、吊棚)、
 
違棚と地袋のもの
 
地袋のみのもの
 
これらに窓をあしらったものがあります。
 
 
また棚の基本形には、通棚、違棚、落棚、吊棚、仕切棚、隅取棚があります。
 
 
また、床脇を必ず設ける必要はなく、
 
 
簡略化したり、なくして押入れにすることも一般住宅ではよくおこなわれています。
 
 
 
 
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違棚や袋戸棚について、地板の大きさは一定ではありません
 
 
天井は無目上端に回縁を回し、天袋のある時は鴨居の上にくるように設置。
 
 
天井は板の他、網代組、萩等のすだれを用いるなどの工夫がされます。
 
上棚板の板橋木口に筆返しをつけます。
 
 
棚板の材料は欅、桜、花梨、楓など無節柾板や杢板
 
 
松の大節杢板などですが、漆塗りに仕上げたものもあります
 
 
天袋の底板、地袋の天板の材料は違棚と同材とし、
 
 
厚さも同じで小襖を建てるので敷鴨居の溝を彫ります。
 
 
天袋や地袋の鴨居は別に取付けます。
 
 
最近は、床回りの材料にはほとんど積層材が用いられます
 
 
材料によって価格が変わらず、反りや割れのないからだそうです。
 
 

特殊床

|

 

 
 
上段床は最も格式の高いものだそうで、
もともとは縁側に桔出した書院地板を机とし
落とし掛けから暖簾を垂らし、中に身を隠すものだったそうです。
床というより上段の間に相当し、
大きさは2~4.5畳くらいですが、今ではほとんど見かけません。
 
 上段床.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
蹴込床は床框がなく、床板の下に蹴込板を入れた床で、
蹴込板の下部は畳寄せ上端に彫られた小穴に入れ、
上部は床板の小穴に入れます。
 
 
 蹴込み床.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
 
 
琵琶床は達磨床ともいい
書院に接し床框から約15㎝高い所に四角い板を束に乗せたものです。
 
 
琵琶床.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
洞床は、床の間の壁三面、天井全部を塗壁仕上とし、
角に丸味をつけた床で、床柱、床框、落し掛けは丸太、竹等を使います。
落し掛けも塗り込んだものを「塗回し床」といいます
 
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袋床は正面片方か両面手前に袖壁をつけた床で、お洒落な座敷向きです。
 
 
袋床.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
踏込床は床の高さを畳面と同じにした床で、地板を敷いた床の間です。
 
 
踏込み床.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
織部床は最も簡単なもので奥行きがなく
柱と柱の間、天井回縁の下に幅約25㎝の幕板を貼り、
約5~10㎜、壁面より出して柱の小穴に入れ、
軸掛釘を回縁から約3㎝下がった所へ打ちます。
 
 
織部床.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
釣床は天井から吊束を下げ、これに落とし掛けを掛けたものです。
また床框の形に枠を組んで、畳の上に置くだけの置床もあります。
最近では床の間の奥行きが減少し、30~60㎝のものもあるそうです。
 
 

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本床

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本床は、最も一般的に採用される床の間の形で、
 
他の床の間の基準となるものでもあります。
 
 
この本床は基本寸法が決まっていますが、その寸法も絶対というわけではなく、
 
 
座敷の幅が2間以上大きくなると床の間も比例して1間以上大きくなります
 
 
 
 
 
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床柱は、その部屋の柱材と同じ木材を使います
 
 
京都北山の磨き丸太が使われることも多いようです。
 
 
また、本床では珍木を用いるのは下品と取られるのでよくないそうです。
 
 
 
 
 
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床框の高さは畳面から柱の見付け(正面から見える部分の幅)ほど。
 
 
床脇は畳面と同一に地板を納め、その上に地袋違棚天袋を設け、
 
 
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床の間と床脇の間には狆潜り(チンクグリ)を開けるか、
 
 
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下地窓
 
 
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火灯窓を設けることもあります。
 
 
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床框の材料は本床では蝋色漆塗で溜塗や素木も用いられますが、
 
 
多く堅木(黒檀、紫檀、花梨、黒柿、イチイ等)が好まれるようです。
 
 
最近集成材のものが多く出ています。
 
 
また、磨き丸太の面皮に、削った所のみ漆塗りしたものもあります。
 
 
 
 
 
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地板は欅、楠、松、栃等の根杢板を艶出しして貼るものと、
 
 
小紋縁をつけた畳表(龍鬢/リュウビン)を張った嵌板や
 
 
畳表の暑さだけ沈めた坂の上に薄縁を敷く方法があります。
 
 
また地板の積層材も種類多く出回っているようです。
 
 

床構え

|

 

 

皆さんの家の和室には床の間があると思います。
 
 
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床の間はもとから今の形であったのではなく、
 
 
昔は「押板」という形で存在していたそうです。
 
 
 
 
 
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床構えは鎌倉時代に日本にもたらされた
 
 
禅宗とお茶の影響で出来たと考えられているそうです。
 
 
禅宗の塔頭方丈(タッチュウホウジョウ)では、仏画が壁に掛けられ、
 
 
その前に仏具が並べられていたそうです。
 
 
一方で喫茶が流行し、
 
 
室町時代には名物を鑑賞しながらの喫茶が楽しまれたそうです。
 
 
また、この頃から部屋全体に畳が敷かれるようになったのだとか。
 
 
一部に畳を敷かず、ここに名物を飾ることもあったそうですが、
 
 
なにかと不便なことから、この飾る部分を建築の主要部分から外へ押し出した
 
 
作ったのが「押板」と言われる床の間の原型だそうです。
 
 
 
 
 
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話は少しずれますが、
 
 
封建制が確立するとともに、
 
 
身分の高い人が一段高い所(上段)に位置することになったのですが、
 
 
桃山時代の侘茶の場となった茶室では、上段と押板が別に取れなくなり
 
 
それが一つになったのが床の間と考えられているそうです。
 
 
床は原則として一段高く、床框がつき部屋内に設けられていますが、
 
 
押板は畳より約30㎝上がった所に部屋の外に押し出すように板をもうけ、
 
 
下部は壁を塗り、奥行きも60㎝と床の半間にくらべて浅いものです。
 
 
床の間は単に装飾ではなく、格式や安らぎの象徴で座敷には必要部分になります。
 
 
床の間は厳格な本床を基本に、趣味や雰囲気、機能によって
 
 
設計し、作り出していくものだそうです。
 
 
 
 
 
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本床(ホンドコ)で上段床は、厳格高雅な部屋につけ、
 
 
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本床、蹴込み床は住宅の厳正な床の間です。
 
 
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この他、洞床(ホラドコ)、
 
 
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袋床は風雅な味わいの床、織部床
 
 
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畳床は部屋の上品さを保つ手軽な床です。
 
 
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これらの中間的なものもあり、床の間の種類は多種多様にあります。
 
 
床の間は南向き(北床)または東向き(西床)がよいとされているそうです。
 
 
本床と逆床は間取りの都合で、右勝手と左勝手があり、
 
 
向かって左に縁側や書院のあるものが本床で、
 
 
その反対の時は逆床(ギャクドコ)といいます。
 
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■□今回の予定□■
6日(今回)        床構え
7日(次回)        本床
8日                    特殊床
9日                    床脇・違棚と袋戸棚
10日                    書院

コンスタンティヌスの公衆浴場

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コンスタンティヌスの公衆浴場
 
 
フランスには宮殿や聖堂など多くの有名な建築物がありますが、
 
 
遺跡として、公衆浴場も現存しています。
 
 
それがコンスタンティヌスの公衆浴場です。
 
 
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この公衆浴場は南フランスの古都アルルに現存する
 
 
古代ローマ時代の公衆浴場跡です。
 
 
4世紀にローマ帝国コンスタンティヌス1世が
 
 
アレラーテ(現在のアルル)に逗留していた際に建造されたものだそうです。
 
 
トルイユ公衆浴場とも呼ばれます
 
 
 
 
 
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元々は宮殿、体操場、水風呂(フリジダリウム)、
 
 
ぬるま湯風呂(テピダリウム)、熱湯風呂(カルダリウム)、
 
 
サウナ風呂、プールなどが設置されていた大浴場だったそうですが、
 
 
現存するのはぬるま湯風呂、熱湯風呂、サウナ風呂
 
 
およびそれらの後部に設置されていた半円状のプールの遺構だけだそうです。
 
 
これらは19世紀になって発掘され、
 
 
当時は古代ローマ時代の宮殿跡と認識されていたそうです。
 
 
現在は「コンスタンティヌスの公衆浴場」の名で、
 
 
世界遺産「アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群」の一部として登録されています。
 
 
 

梅雨時期のカビ対策のススメ

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梅雨時期のカビ対策のススメ

~「大地の風」より~

 

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6月は梅雨の季節。

ジメジメっとして憂鬱な気分になる方も多いと思われますが、

カビにとっては大好きなシーズン!

そこで今回はカビが元気になる条件や、カビの予防対策、

そしてカビが生えてしまった時の対処法についてご紹介いたします。

 

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カビを知ろう

カビは四つの条件が揃うと生えてきます。

つまりカビが育つ条件を知っておくことで、

その条件を揃えなければ(1つでも抑えてしまえば)よいのです。

まずは、カビ(敵)を知ることから始めましょう!

温度:25℃前後が発生しやすいようです。

湿度:カビが元気になる湿度は75%から(相対湿度)。

栄養分:ほこりや、髪の毛やフケなどの老廃物、木や畳などをエサにして成長します。

酸素:カビは有機物に含まれ、呼吸をします。よって酸素が必要になるのです。

 

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カビを予防しよう。

室内を清潔に保ちましょう。

チリ・ホコリはカビの発生要因になりやすいため、

こまめに掃除し室内を清潔に保ちましょう。

 

 

掃除のあとは除菌しましょう。

湿度の高い時期は畳などの調湿効果のあるものは、

エタノールを染み込ませた布などで拭くと、

除菌、殺菌、消臭の効果があります。

材質によっては変色するものもありますので、

目立たないところで試してから行いましょう。

 

 

室内の湿度が高い時は除湿機などを利用しましょう。

洗濯物などを干すなどして室内の湿度が高まる時

除湿機やエアコンのドライ運転などで、機械的に除湿しましょう。

空気の滞りやすい場所は扇風機などで気流をおこして

胞子の着床を防いだりすることで、カビの成長の芽を摘み取りましょう。

 

 

炭の調湿効果

炭には調湿効果があります

湿度が高い時はその中に閉じ込め、低い時は放出し、

空気を快適な状態に保とうとする働きです。

ただし、炭の保有できる水分量にも限界があります。

天気のいい日には窓を開けるなど室内の湿度の高い空気と入れ替えることで、

炭の効果をより効果的に得ることが出来るようになります。

 

 

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もしカビが発生してしまったら?

エタノールを染み込ませた雑巾でふいてください

殺菌と同時に、カビ予防にもなります。

また、カビを確実に退治するには、週1回のペースで2週間ほど続けましょう。

 

※雑巾などで水ぶきした場合、
     ケースによっては逆にカビを撒き散らしてしまうので避けましょう。

 

 

 

ヴェルサイユ宮殿

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この建築物は歴史の教科書に必ずと言っていいほど乗っていますよね。
 
 
ルイ14世が建造した宮殿であり、
 
 
ヴェルサイユ条約の調印の為に使用された場所でもあります。
 
 
このヴェルサイユ宮殿はパリの南西22キロに位置する、
 
 
イヴリーヌ県ヴェルサイユにあります。
 
 
主な部分の設計は、マンサールル・ブランによって行われ、
 
 
庭園はアンドレ・ル・ノートルによって造園されたそうです。
 
 
バロック建築の代表作であり、豪華な建物と広大な広い庭園で有名です。
 
 
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先ほども書きましたが、ルイ14世が建造した宮殿です。
 
 
そのため、フランス絶対王政の象徴的建造物ともいわれているそうで、
 
 
その豪華さと完成度で世界中の宮殿に模範されたそうです
 
 
そんなヴェルサイユ宮殿ですが、
 
 
実は宮殿よりも噴水庭園の方が建設にかかった労力は上だったのだとか。
 
 
宮殿建設の25,000人に対し、36,000人が投入されていたそうです。
 
 
また、この噴水にはルイ14世の3つの意図が込められているそうです。
 
 
水無き地に水を引く
 
 
貴族を従わせる
 
 
民衆の心をつかむ
 
 
といった3つだそうです。
 
 
 
 
 
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ヴェルサイユには近くに水を引く高地がなく
 
 
10km離れたセーヌ川の川岸に巨大な機械を設置し、
 
 
堤の上に水を上げ、水道橋を造り、
 
 
ヴェルサイユの巨大な貯水槽に水をためたそうです。
 
 
また、噴水は「ラトナの噴水」と
 
 
ヴェルサイユ宮殿 ラトナ噴水.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「太陽神アポロンの噴水」があり、
 
 
ヴェルサイユ宮殿 アポロンの噴水.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
どちらの噴水においてもアポロンはルイ14世をあらわしています
 
 
また、ラトナの噴水において、アポロンとラトナの足元にある
 
 
カエル等の像は、二人に泥を投げ付けて神の怒りにふれた人間の姿であり、
 
 
これによって貴族を牽制し
 
 
ヴェルサイユ宮殿を全ての民衆に開放し、
 
 
貴族と自然を圧倒した王の偉大さを民衆に刷り込んだと言われています。
 
 
 
 
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ヴェルサイユ宮殿の宮殿内で有名なのは鏡の間です。
 
 
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この鏡の間は、儀式や外国の賓客を謁見するために使われていたそうです。
 
 
1871年にドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の即位式が行われ
 
 
また第一次世界大戦後の対ドイツとの講和条約である
 
 
ヴェルサイユ条約が調印された場所でもあります
 
 
鏡の間にはたくさんの銀製品が飾られていたといわれているそうですが、
 
 
ルイ14世は晩年になってスペインとの王位継承争いが続いて戦費の捻出に困り、
 
 
破産を免れるためにこれらを売って戦費に充てたといわれています。
 
 

ランス・ノートルダム大聖堂

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ノートルダム」という言葉を聞いたことはありませんか?
 
 
ノートルダムとはフランス語で私達の貴婦人」という意味で、
 
 
聖母マリアを指しているそうです。
 
 
ノートルダム聖堂と言うと20ほどあるそうですが、
 
 
今回はフランス・ランスにあるノートルダム大聖堂について書きます。
 
 
ランスはパリから東北東に約130㎞の位置にある街だそうです。
 
 
このランス・ノートルダム大聖堂は、
 
 
1991年にサン=レミ旧大修道院とトー宮殿とともにユネスコ世界遺産に登録されました。
 
 
微笑みの天使」の彫像が有名です。
 
 
 
 
 
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(写真:ランス・ノートルダム大聖堂)
 
 
このランス・ノートルダム大聖堂は、
 
 
1210年に火災で焼失した教会の代わりとして1211年5月6日に東側部分から着工されたそうです。
 
 
1233年から1236年には建造資金源として課された重税に苦しんだランス市民によって、
 
 
大聖堂の工事を率いる高位聖職者に対する反乱がおこったそうですが、
 
 
14世紀には内陣が完成していたそうです。
 
 
ただ、ファザード部の建設は遅れ、
 
 
南側の鐘塔は1445年、北側の鐘塔は1475年に完成したそうです。
(約260年かけて建造されたということですね。)
 
 
また、かのジャンヌ・ダルクシャルル7世と共に
 
 
このランス・ノートルダム大聖堂を訪れていたそうです。
 
 
 
 
 
 
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その後ランス・ノートルダム大聖堂は、
 
 
フランス革命の動乱で彫像を中心に破壊されたそうですが、
 
 
1875年にフランスの国会で修復の為に投資されることが決議され、彫像の多くが修復されました。
 
 
投資額は現在の価格で約8万ユーロだったそうです。
 
 
しかし第一次世界大戦の影響で、約半数のステンドグラスが失われ
 
空爆では屋根に壊滅的な被害をうけたそうです。
 
 
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(写真:ランス・ノートルダム大聖堂 ステンドグラス)
 
 
終戦後にランス出身の建築家・アンリ・ドゥヌの主導によって再建が開始され、
 
 
1938年に竣工した後に一般開放されましたが、今もまだ一部の修復作業が行われているそうです。
 
 
 
 
 
 
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ランス・ノートルダム大聖堂は、国王の戴冠式の場としても利用されていたそうです。
 
 
というのも、ランスで496年にフランク王国の初代国王であったクロヴィス
 
 
ランスの司教であったレミギウスから洗礼をうけてローマ・カトリックに改宗して以来、
 
 
歴代フランス国王の戴冠の秘蹟を授ける聖別式行われるようになったからだそうです。
 
 
816年にルイ1世が始めて戴冠式を行ってから、
 
 
1825年のシャルル10世に至るまで25人の王
 
 
このランス・ノートルダム大聖堂で聖別を受けたそうです。
 
 

モン・サン=ミシェル

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フランスにはエッフェル塔と同じく有名な建築物があります。
 
 
モン・サン=ミシェル。
 
 
一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
 
 
モン・サン=ミシェルはフランス西海岸、
 
 
サン・マロ湾上に浮かぶ小島に築かれた修道院です。
 
 
カトリックの巡礼地のひとつでもあるそうで、
 
 
「西洋の驚異」とうも称されるそうです。
 
 
1979年に「モン・サン=ミシェルとその湾」として世界遺産に登録され、
 
 
1994年にはラムサール条約登録地となったそうです。
 
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モン・サン=ミシェルの主要部はゴシック様式で、
 
 
内部は様々な中世の建築方式が混ざり合って構成されているそうです。
 
 
教会堂はカロリング期の様式で、身廊はノルマン様式
 
 
百年戦争後の1421年に破壊されたロマネスク様式の内陣は
 
 
フランボワイアン・ゴシック様式として再建されたそうです。
 
 
 
 
 
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モン・サン=ミシェルがあるサン・マロ湾は
 
 
ヨーロッパでも潮の干満の差が最も激しい所として知られているそうです。
 
 
かつては多くの巡礼者が潮にのまれて命を落としたといわれ、
 
 
「モン・サン=ミシェルに行くなら、遺書を置いていけ」
 
 
という言い伝えがあったそうです。
(まるで親不知子不知のような・・・・)
 
 
1877年に対岸との間に地続きの道路が作られ、
 
 
潮の干満に関係なく島へと渡れるようになったそうですが、
 
 
これによって潮流をせき止めることとなり、
 
 
100年間で2mもの砂が堆積してしまったそうです。
 
 
かつての姿を取り戻すべく2009年には地続きの道路が取り壊され、
 
 
2010年には代替となる新たな橋がかけられることが計画されているそうです。
 
 
厳島神社がある広島県廿日市市とは姉妹都市なのだとか。
(教会と神社といった“神様”と“潮の干満”が関係した場所ですよね)
 
 
 
 
 
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この島はもともとモン・トンブ(墓の山)と呼ばれ
 
 
先住民のケルト人が信仰する聖地であったそうです。
 
 
百年戦争の期間は島全体が英仏海峡に浮かぶ要塞の役目をしていたそうで、
 
 
モン・サン=ミシェルの入り口には今も
 
 
イギリス軍が捨てていった大砲とその弾が残っているのだとか。
 
 
18世紀末のフランス革命時に修道院は廃止され、
 
 
1863年まで国の監獄として使用された後、荒廃していたそうですが、
 
 
ヴィクトール・ユゴーの紹介がナポレオン3世を動かし、
 
 
1865年に再び修道院として復元され、ミサが行われるようになったそうです。
 
 
 

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